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<歩みをとめない者たち>宮本恒靖の“今を生きる”原動力。

6/14(木) 11:01配信

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 宮本恒靖は、バーンアウトと表現する。

 2006年、ドイツワールドカップ。ベスト16まで進んだ日韓大会以上の結果を期待されたものの、惨敗に終わった。キャプテンとしてすべてを注ぎ込んできただけに、その代償は思った以上に大きかった。

 もう12年も前の出来事になる。宮本は古巣ガンバ大阪に戻って指導者となり、U-23監督とトップチームのコーチを務めている。ビターな記憶は、今なお新鮮なままである。

 「ショックはありましたね。いい結果をもたらすことができず、モヤモヤしたままでガンバ大阪の練習に復帰して、そこでヒデ(中田英寿)の引退表明もありました。自分に置き換えてみても、キャリアの終わりが近づいていると感じさせられました。ドイツから帰国してJリーグの試合がめぐってくるなかで、集中力を保とうとはしていたつもりです。しかし気持ちとパフォーマンスにズレが生じていて、プレー自体あまり良くなかったかなって思います」

29歳での海外移籍を決断した理由。

 自分はどう進んでいけばいいのか。

 立ち止まりかけた。だが、行動の人は目線を次に移そうとする。それが29歳での海外移籍というチャレンジだった。

 宮本が当時の決断を振り返る。

 「次のターゲットを定めないと、新たなモチベーションが生まれないなと感じました。もう海外に行くしかない、と」

 2006年シーズン限りで、ユース時代を含めて15年過ごしたガンバ大阪に別れを告げ、オーストリアの強豪レッドブル・ザルツブルクへと渡った。

 29歳と言えば、サッカーではベテランに入る範疇。かつ日本人ディフェンダーの海外挑戦は、まだ珍しい時代だった。

 語学は堪能だとはいえ、海外のやり方を一から吸収しなければならない。

 彼は合流する前からチームメイトの名前と顔を覚え、積極的に溶け込もうとした。イタリア代表やACミラン、ユベントス、インテルなどビッグクラブで指揮を執ってきた名将ジョバンニ・トラパットーニ監督とは何かあればコミュニケーションを取るようにした。

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最終更新:6/14(木) 11:01
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