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サッカー人生で最も苦しんだ1カ月。中村俊輔は何を考えていたのか

6/18(月) 11:32配信

webスポルティーバ

私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第6回
W杯で輝けなかった「エース」の本音~中村俊輔(4)

【写真】中村俊輔が明かす、W杯で「俺が輝けなかった」理由

「シュンスケ、いくぞ!」

 2010年南アフリカW杯グループリーグ第2戦のオランダ戦、中村俊輔は後半19分から途中出場した。オランダに1点リードされた状況の中、日本代表の岡田武史監督は点を取りにいくために、中村をファーストチョイスとしてピッチに送り出した。

 ここで点に絡む活躍ができたら、中村は松井大輔と右サイドのポジションを争うことができたかもしれない。だが、中村は何も結果を残せず、自身の存在をアピールすることさえできなかった。チームも、そのまま0-1で敗れた。

「(オランダ戦で)試合に出たけど、ぜんぜん地に足がついていなかった」

 これ以降、岡田監督から中村に声がかかることはなかった。

 チームが勝ち進むなか、いち個人としては”サブ”という世界で悶々(もんもん)とした毎日を過ごしていた。本来であれば、ミックスゾーンで試合を分析するなど、取り囲む報道陣を相手に多くを語っていたはずだが、中村が口を開くことはほとんどなかった。

「試合に出ていないし、メディアのほうも声をかけていいのか、悪いのか、微妙な空気になっていたからね。かといって、俺に聞くこともないだろうし、俺も話をしたくなかったから」

 何かしら話をし出したら、感情が込み上げて爆発してしまう怖さもあった。

 試合後に報道陣とかわす話は、試合での自分のプレーや考えを整理したり、彼自身の”ガス抜き”でもあったりしたが、それもなくなり、ストレスは溜まる一方だった。

 そうした状態にあって、中村は先を見ることで、自分の気持ちを落ち着かせていたという。

「このまま帰ったら、『W杯で活躍できなかった10番』『もう終わった選手』って言われる。でも、『このまま落ちていくんだろうな』っていうふうには、絶対に思われたくはなかった。そこで、『これは下を向いている場合じゃない』『1、2年先を考えるところからスタートしないといけない』、そう思った。

 それから、サッカーノートを見たり、筋トレを多めにしたりして、『帰国したら、こういうプレーをしよう』とか、毎日いろいろと考えていた。逆に言うと、そう考えることでしか、自分を保つことができなかった」

 それほど、ベンチでの日々はつらかったのだ。

 ただ、振り返れば中村は、いつも前を向いて”少しでもうまくなるため”、真摯に練習に取り組んできた。エスパニョールで試合に出られなかったときもそうだった。

 試合後、ひとりでピッチ外を走っていた。その際、「アイツ、試合が終わってからウォーミングアップを始めたぞ。大丈夫か?」と、冷たい視線で見るファンや関係者がいたが、中村は気にせずに黙々と走っていた。

「南アのW杯のときも、みんながシャワーを浴びているとき、俺は走っていた。悔しいし、惨めだけど、他の選手は試合をしたけど、俺は試合に出ていないから。そこで休むと、どんどん差が開いていく。それが嫌なんで、きついけど、走っていた。

 そのうち、岡崎(慎司)とか、森本(貴幸)とかが来て、一緒に走るようになった。苦しくて、もがいているときが一番伸びるときだから。それにしても、今考えると(あのときは)すごくもがいていたなと思う」

 中村は息を吸って、大きく背筋を伸ばして、そう言った。

 中村のサッカー人生で、最ももがき、苦しんだ時間だった。

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