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約20年続く蛍光灯デスマッチ 竹田とイサミの10年流血物語

6/19(火) 17:02配信

ベースボール・マガジン社WEB

デスマッチというジャンルの現在

 LEDの普及により蛍光灯の淘汰が進んでいる。

 そんな世相に抗うように、プロレス界ではいまも蛍光灯で殴り殴られ時には自らの頭をブチ抜き、そのたび猛烈な爆音をとどろかせ白い破片がライトに照らされ美しく舞う「蛍光灯デスマッチ」が、もう20年以上もおこなわれてきた。プロレスファンの方にも「いったい、何の話だ?」と思われるかもしれないが、世間一般の常識を超越したところで人心を揺さぶる蛍光灯デスマッチが、脈々と継続しているのは紛れもない事実なのだ。

 流血を伴うデスマッチながら、日本のプロレス界ではいまもポピュラーなジャンルとして根強く生き続けている。現在、デスマッチをメインに置く団体は大日本、FREEDOMSの2団体。大日本は2015年から毎年1回、両国国技館で大会を開催するまでに成長。FREEDOMSも後楽園ホールで定期的に大会を実施し“デスマッチのカリスマ”葛西純を擁する。

 歴史を紐解けば、デスマッチをメジャーにしたのは1989年にFMWを設立した大仁田厚さんの功績が大きい。90年代、“涙のカリスマ”と呼ばれ電流爆破デスマッチを代名詞に、大流血を厭わぬ死闘の数々で川崎球場を満員にするなど、体を張って血塗られたリングをメジャー感あるジャンルに押し上げた。

 大日本はデスマッチの後発団体で1995年に、いまなお76歳でバリバリの現役レスラーであるグレート小鹿が設立。いまでこそ、関本大介を中心に“通常のプロレス”でも魅せられる団体になった大日本だが、設立してしばらくはデスマッチが生命線となっていた。そのなかで、1997年に初めて蛍光灯を使ったデスマッチが松永光弘さんによって考案され、進化を遂げてきたのである。

“デスマッチ2冠”竹田誠志が現デスマッチをけん引

 大日本はデスマッチの後発団体で1995年に、いまなお76歳でバリバリの現役レスラーであるグレート小鹿が設立。いまでこそ、関本大介を中心に“通常のプロレス”でも魅せられる団体になった大日本だが、設立してしばらくはデスマッチが生命線となっていた。そのなかで、1997年に初めて蛍光灯を使ったデスマッチが松永光弘さんによって考案され、進化を遂げてきたのである。

 いま、長きにわたる歴史あるデスマッチの世界をけん引しているのが、今年5月に大日本のBJW認定デスマッチヘビーに加え、FREEDOMSのKFCシングル王座も獲得し“デスマッチ2冠”となった竹田誠志。大日本のベルトはこれまで6度の防衛に成功しており、明日に迫った6・20後楽園で、アブドーラ・小林の持つ同王座連続防衛記録V7を懸け、DDTグループの団体・BASARAの代表でもある木高イサミの挑戦を受ける。

 最後の前哨戦が先週、6・13新木場で“3K6人タッグデスマッチ”(蛍光灯、剣山、蛍光灯ラダーを使用)でおこなわれたが、互いに剣山を額に刺し合って頭突きをブチ込み合うなど極上の狂気を発揮。竹田は高さ4メートルはあるラダー上からブレーンバスターで投げれば、イサミもラダー自体を王者の上に乗せて、自らはイスを手にヒザに添え、そのままダイビング・ダブルニードロップをブチ込むなど、一進一退。

 デスマッチはどうしても凶器に目を奪われがちになるが、竹田はもともと総合格闘技出身で、イサミはいまやデスマッチ以外の活躍が目立っている。血みどろのなかで繰り広げられるレスリングの攻防も目を見張るものがあった。この日は、ここ数カ月で2度に渡り、イサミにタッグで黒星を付けられていた竹田がリベンジを果たし、決戦へと向かうことになった。

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