ここから本文です

W杯メンバー落選から切り替えた堂安律。その最終目標がデカすぎる!

6/24(日) 8:20配信

webスポルティーバ

堂安律インタビュー@後編

 19歳で海を渡った堂安律は、新天地フローニンゲンの中心選手として結果を残し、シーズン終盤にはガンバ大阪からの完全移籍を勝ち取ることに成功した。

【写真】堂安律がビビりながら監督に迫ったオランダ1年目を振り返る

 しかし、充実したシーズンのなかにはいいときもあれば、悪いときもあった。とりわけ移籍当初はチームメイトとのコミュニケーションがうまくとれず、楽しく感じられない毎日を過ごすこととなったという。そんなどん底の状態から、いかにして這い上がり、成功を掴み取ることができたのか?

 日本サッカー界の期待の星が、オランダで過ごした1年を振り返り、日本代表を含めた今後の目標を熱く語ってくれた。

―― そもそもフローニンゲンに移籍する経緯を聞きたいのですが、もともと海外志向が強かったのですか?

堂安律(以下:堂安) 強かったですね。ガンバのジュニアユースでスペインなど海外遠征によく出掛けていたので、中学生のころからそういう気持ちがあったと思います。あとは、バルセロナを好きになってから、「いつかバルサに勝ちたい」と思うようになり、ますます海外でプレーしたいという気持ちが強くなりました。もちろん、アンダー世代の日本代表として外国チームと対戦したことも影響したと思います。

―― 移籍するにあたり、フローニンゲン以外のクラブからのオファーはありましたか?

堂安 その1年前に、PSV(オランダ)から話がありました。でも、そのときはクラブから「まだ無理。出さへん」って即答されました(笑)。そこで、「来年はワールドユース(2017年U-20ワールドカップ)があるから、活躍次第で行かせてください」と伝えました。

―― 日本でプレーしていたら成長できないと感じたのですか?

堂安 いや、そういうことではないんです。ただ、日本にいたら楽しいけど、サッカーが本気でできないような気がして……。やっぱり、ヨーロッパに行くとやることはサッカーしかないし、1日のほとんどの時間をサッカーのために費やすことになると思っていて。実際、誘惑がない世界に行くことができたことが自分にはよかったと、実感しています。

―― オランダでは独り暮らし?

堂安 はい、独りです。

―― そうなると、日常生活で日本語を使う機会はほとんどないですよね。フローニンゲンは日本人も少ないでしょうし、ホームシックになるのもわかります。

堂安 あれがホームシックなのかはわからないですけど、とにかく最初のころは楽しくない毎日でした。でも、もともと僕の夢はヨーロッパで十何年もプレーすることだったし、「ほんの1~2ヵ月前はあんだけヨーロッパに行きたいと思っていたのに、なんでこんなにビビってんやろ?」って思った自分がいて……。

 そしたら、そのうち自分のなかで「無理やりでも楽しくしよう」という気持ちが勝(まさ)るようになったんです。それで、無理してチームメイトに話しかけて仲良くなろうとしたんですけど、でも最初のころはそれでも全然楽しくならなかったですね。

 ただ、必死に相手のことを知るように努力して、相手にも自分のことを知ってもらうようにした結果、少しずつ状況が変わりました。今ではめちゃくちゃチームメイトと仲良くしていて、日本に帰ってきても向こうから「元気か?」って電話がくるような関係になりました。

―― 入団後、開幕前のキャンプのときからそういう積極的な姿勢だったんですか?

堂安 いや、あの時期に日本の報道で「堂安のコミュニケーション力がすごい」みたいな記事があったみたいですけど、実際、僕は何もしてないんです。ただ、チームメイトから話しかけられているとき、僕がニコニコしていただけなので(笑)。

 でも、今考えると、あのときの僕は逃げていたんだと思います。英語が話せなかったので、話しかけられること自体が嫌で、気を遣われることも嫌だった。だから最初の2~3ヵ月は、本当にアカンかったなって思います。

1/3ページ

記事提供社からのご案内(外部サイト)

Sportiva

集英社

Sportivaムック
5月10日(木)発売

定価 本体1,593円+税

フィギュア特集『羽生結弦 王者の凱旋』
■仙台凱旋パレード
■平昌オリンピック名場面集
■世界選手権プレイバック

Yahoo!ニュースからのお知らせ(9月19日)