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ナイキを作った男、フィル・ナイトの「日本メーカーを活用する戦略」

6/26(火) 7:00配信

文春オンライン

 世界で最もブランド価値の高いアパレル・ブランドは、一人の若者の突拍子もない仮説から誕生した。「かつてドイツの独壇場だったカメラ市場を日本メーカーが席巻した。ランニングシューズ市場でも同じことが起こる可能性があるのではないか」。1960年代前半にこの論文を書いたのは、スタンフォード大学大学院で経営学を学んでいたフィル・ナイト。自分の仮説を実証するために彼が作った、日本製ランニングシューズの輸入販売会社「ブルーリボン」は、その後「Nike(ナイキ)」と名前をかえ、今や売上高343億ドル(3兆7700億円)、株式時価総額926億ドル(10兆1800億円)の巨大企業になった。

 ナイトは大学の陸上部に所属していたからランニングシューズには詳しい。琴線に触れたのは日本のオニツカ(現アシックス)の製品だった。

 大学院を修了したナイトは、父親から金を借りて世界を巡るバックパッカーの旅に出る。機中で『How to Do Business with the Japanese(日本人と仕事をする方法)』という本を丸暗記したナイトは、神戸のオニツカ本社を訪れ「アメリカのランニングシューズ市場は10億ドル規模になる」「自分はオレゴンにある『ブルーリボン・スポーツ』の代表だ」とハッタリをかました。ちょうど米国進出を計画していたオニツカは、ナイトを信用して代理店契約を結ぶ。その場で思いついた「ブルーリボン」という名前は、陸上競技で好成績を納めた選手に贈られる賞状のことだ。

 ナイトは父親の友人のアドバイスを受けて公認会計士の資格も取り、会計事務所のプライスウォーターハウスで働きながら、ブルーリボンを経営する。オニツカのランニングシューズは米国でも好評だった。

 当時、米国を含む世界のランニングシューズ市場ではドイツのアディダスが圧倒的シェアを持っていたが、オニツカはアディダスに引けを取らない人気を獲得したのだ。「ライカ」に代表されるドイツのカメラメーカーから、キヤノン、ニコンの日本製がシェアを奪ったように。ナイトは自分が書いた論文の仮説の正しさを証明したことになる。

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最終更新:6/26(火) 9:12
文春オンライン

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