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世界中が高山善廣にエールを送る――強さとはなにか?<最強レスラー数珠つなぎVol.17 #1>

7/7(土) 8:40配信

週刊SPA!

<取材・文/尾崎ムギ子>

 今年2月、卵巣に腫瘍が見つかった。通常2~3cm程度の卵巣が15cmまで肥大し、いつ破裂してもおかしくない。おまけに黒い影もある。医師に、「悪性の可能性も覚悟しておいてください」と告げられた。つまり、がんかもしれない。死ぬかもしれない。まだちゃんと生きてもいないのに。

⇒【写真】2015年8月「カッキーライド」

 手術までの間、酒に溺れた。毎晩、飲み屋をハシゴし、店主に「わたし、死ぬかもしれないんだ」とくだを巻いた。そんなある日、一本の電話がかかってきた。恩師からだった。病気のことをどこかで聞いたらしい。怒鳴られた。

「なにやってんだよ。こういうときのために、プロレスがあるんじゃないのか?」

 嗚咽が止まらなかった。

 手術の結果、腫瘍は良性だった。がんではない。とりあえず、死に至ることはない。しかし良性であっても悪性であっても、私には心に決めていることがあった。「高山善廣さんの記事を書こう」――。試合中に負った怪我が原因で頸髄完全損傷と診断され、首から下が動かなくなった。回復の見込みはないとされている。

 生きることと必死に向き合っている高山の記事を書くことで、この連載で追い求めてきた“強さとはなにか”、その答えが見つかるような気がした。

◆vol.17 高山善廣

「俺は、タカヤマの力になるためにここへ来たんだ」

 プロレス会場の隅で募金箱を持っていたプロレス記者の鈴木健.txtは、耳を疑った。海外からやってきたプロレスファンが、興奮を抑えきれないという様子で高山への思いを語ってくる。(世界中の人が、高山さんを応援している――)。鈴木は慣れない英語で、「サンキューベリーマッチ、サンキューベリーマッチ……」と繰り返した。

 鈴木はマスコミの人間でありながら、高山の募金活動をしている。その理由を尋ねると、「マスコミではなく、週一回、高山さんの隣にいた人間としてやっている」と言う。高山は募金をしてくれた一人一人にお礼を言いたいはず。だから自分が代わりに頭を下げているのだと。

 鈴木がMCを務める動画配信番組「ニコプロ一週間」。毎週水曜日、高山は4年前からレギュラー出演していた。しかし昨年5月4日、番組を休んで出場したDDT豊中大会にて頭部を強打し、大阪市内の病院に搬送された。その日の夜、生本番中は高山の容態について触れなかった。ただただ、心がざわつくばかりだった。

 あの日から、1年が過ぎた。いまでも番組のオープニングでは高山の映像を流し、エンディングでは高山への募金を呼びかけている。

「4年間、当たり前のように自分の隣に座っていた人が、突然いなくなってしまった。人生で初めて経験することでした。なにかしたい、でもなにもできない。そうした中で、昨年9月、高山さんを支援するTAKAYAMANIAが設立されました。これで自分も高山さんの力になれると思ったのは、僕だけではなかったはずです」

 1万円を1回よりも、1円を1万回募金して、高山に対する思いをずっと持ち続けてほしいと鈴木は言う。長期的な治療になる。金額よりも気持ちが、彼を支え続けることに繋がるだろうと考えている。

 2014年12月、プロレス界に衝撃が走った。垣原賢人がFacebookにて、悪性リンパ腫に侵されていることを公表したのだ。現役を引退し、クワガタを愛するネイチャーボーイ「ミヤマ☆仮面」として、第二の人生を歩み始めたばかりの出来事だった。

「まさか自分が、と思いました。体には自信があったので。この病気に勝てるのだろうかとひどく落ち込みました。主治医からも、このがんがどれだけしつこくて、完治が難しいかということを聞かされましたから。絶望感に苛まれました」

 公表から程なくして、垣原を支援する「カッキー応援隊」が結成された。中心になったのは、UWFインターナショナルの先輩である山崎一夫と、後輩である高山善廣。日本全国へ募金を呼びかけ、イベントでは自ら募金箱を持ち、垣原を励まし続けた。

「抗がん剤治療中、お見舞いはお断りしていたんです。どんどん体の筋肉が落ちていく姿を、あまり人に見せたくなくて。でも唯一、家族以外で病院に呼んだのが高山選手です。それくらい信頼しています」

 高山との出会いは、垣原が新生UWFの練習生だったとき。旧UWFを辞めて会社勤めをしていた高山だが、合宿所に遊びに来ることがあった。体の大きい彼を見て、(もったいないな)と思った。後にUインターに入門した彼を、垣原は徹底的にしごいた。こいつはすごいレスラーになる。俺も負けてなるものかと、更なる厳しい練習に励んだ。お互い本音でぶつかり合うことで、信頼関係が生まれた。

「高山選手は、プロレス頭を持った人です。U系の選手はリングでもスポーツライクに『頑張ります』的なことしか言わないんですけど、彼はプロレスラーの言葉を持っていた。どういう言葉を発すればお客さんが喜ぶかということを、ちゃんと分かっているんです。敵わないなと思いました」

 1999年、二人は同時期に全日本プロレスに移籍する。高山はめきめきと頭角を現し、プロレス界のベルトを総なめにした。そしていつしか「プロレスの帝王」と呼ばれるようになった。

「正直、悔しさもありました。先輩という立場でありながら、下のほうでくすぶっている自分が情けなかった。でも高山選手が手の届かない高みにいってからは、そういう感情はなくなりましたね。Uインターで同じ釜の飯を食っていた仲間として、誇りに思いました。俺たちがやっていたことは間違っていなかっただろ、と」

 高山の怪我を知ったとき、「なんでこんなにいい奴が……」という思いがよぎった。自分が病気になったとき、懸命に励ましてくれた。少しでも病気に役立つ情報を仕入れては、自分の元に届けてくれた。プロレスラーとしても一流だが、人間としても素晴らしい。神様はいないのかと思った。

  垣原は昨年8月、自身の主催興行「カッキーライド」にてリング復帰した。今年も開催しようと考えていたが、8月31日に開催される「TAKAYAMANIA EMPIRE」と日程が近い。自粛すべきではないかと悩んだ。そんな垣原に、高山は「やってください」と言った。またもや彼に背中を押された。TAKAYAMANIAを応援するための大会をやりたいと思った。

 昨年のカッキーライドは全試合UWFルールで行われ、垣原が入門した新生UWFの世界観を表現した。今年は、高山がデビューしたUインターの世界観を打ち出そうとしている。かつてのUインターの選手、関係者、スタッフを集め、みんなで高山にエールを送りたい。それが今年のカッキーライドの目的だ。

「今度は僕が応援する番。いまこそ先輩面しなきゃいけないと思うんです。僕が病気を克服して楽しそうに生きているところを見せることが、きっと彼へのエールになるはず。高山選手が自分の足で歩いて、もう一度トップロープをまたぐまで、応援し続けます」(次週更新へ続く)

【PROFILE】高山善廣(たかやま・よしひろ)

1966年、東京都墨田区生まれ。大学時代、20歳のときに休学し、第1次UWFに入門。しかしラグビーで負った怪我が再発し、一ヶ月足らずで退団。大学卒業後、会社勤めをするが、プロレスラーになる夢を諦めきれずにUWFインターナショナルに入門。解散後、キングダムを経て、1999年、全日本プロレスに入団。2001年、PRIDE参戦を機に、フリーランスとなり、同年6月23日、PRIDE.21でドン・フライと死闘を繰り広げ、世界中の注目を浴びた。プロレス界のベルトを総なめにし、「プロレスの帝王」と呼ばれるようになったが、2017年5月4日、DDT豊中大会にて、前方回転エビ固めをかける際に頭部を強打。頸髄完全損傷と診断され、同年9月の記者会見で回復の見込みがないことが明らかにされた。現在はリハビリに励んでいる。196cm、125kg。ブログ:https://ameblo.jp/takayama-do/

【尾崎ムギ子】

尾崎ムギ子/ライター、編集者。リクルート、編集プロダクションを経て、フリー。2015年1月、“飯伏幸太vsヨシヒコ戦”の動画をきっかけにプロレスにのめり込む。初代タイガーマスクこと佐山サトルを応援する「佐山女子会(@sayama_joshi)」発起人。Twitter:@ozaki_mugiko

日刊SPA!

最終更新:7/17(火) 11:08
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