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真備町浸水、50年間棚上げされた「改修計画」

7/13(金) 6:11配信

東洋経済オンライン

 未曾有の豪雨災害に見舞われた西日本では、現在も懸命の復旧作業が続く。

 特に被害が大きかったのは、岡山県倉敷市真備町での堤防決壊だ。現場は高梁川と小田川が合流する手前で、本流である高梁川の水位上昇により、支流の小田川の水が流れにくくなったことが、堤防決壊の引き金となった。

【年表で見る】これまでも多くの被害が出ていた!

■半世紀前からあった計画

 小田川をめぐっては、高梁川との合流地点を付け替える工事が今秋に予定されていた。小田川が高梁川と合流する位置を現在より約4.6キロメートル下流に移動させることで、合流部分の洪水時の水位低下を図るものだ。

 もっと早く対策しておけば――そんな声も漏れ伝わる一方、工事は一筋縄ではいかない現実が横たわる。計画自体は50年も前から存在していたにもかかわらず、なぜ現在まで着工に至らなかったのか。

 高梁川と小田川の流域は、幾度となく水害に悩まされてきた。1893年10月に上陸した台風では、岡山県全域で床下・床上浸水5万0209万戸、全半壊1万2920戸という被害に遭った。そこで東西に分岐して海に流れていた高梁川を西側に一本化し、東側は埋め立て、西側の一部は貯水池として整備された。だが、その後もたびたび洪水に見舞われたため、治水の重要性が再び浮上してきた。

 そんな中、小田川の合流地点付け替え工事は2007年に基本方針が策定された。今秋に予定される工事は11年越しとなるわけだが、実は前身となった計画は昭和にまでさかのぼる。もともとは治水対策としてダム建設が計画されていたからだ。

 1968年、旧建設省は柳井原堰(ダム)建設の構想を発表した。場所は今回の小田川付け替え工事完了後の合流部分に当たり、水害の相次ぐ小田川の治水と、水島コンビナートを中心に渇水にあえぐ下流地域の水源開発が目的だった。

 建設予定地は倉敷市と船穂町(現倉敷市船穂町)にまたがっていたが、船穂町は柳井原堰の建設に猛反発した。第一に、治水の恩恵は上流の真備町(現倉敷市真備町)などの小田川流域、利水の恩恵は下流の倉敷市などの都市部が中心で、船穂町には大きなメリットがなかった。加えて、明治から大正時代に行われた、東西に分かれていた高梁川を一本化する工事にて、船穂町の一部の集落が貯水池の底に沈んだという苦い過去も想起された。1980年には周辺自治体が開発を促進する会を結成し幾多の交渉が続けられたものの、船穂町は慎重姿勢を崩さず計画はたなざらしとなった。

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