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後悔、葛藤、苦悩… 死刑執行されたオウム「井上嘉浩」が綴った獄中書簡300通

7/17(火) 6:01配信

デイリー新潮

苦しめた人々の苦しみと比べるなら

――獄中書簡には、罪と向き合い、それに慄(おのの)き、苦悩する思いが家族に向かって繰り返し吐露されている。

《被害者の方々に一体、何ができるか。毎日、毎日考え抜いています。そのひとつの私の理解はいきつくところ、私のような誤ちをこれからの若い人が犯さないように、赤裸々に語ることであり、それは裁判では、はっきりいって不可能に近いです。あまりにも制約があることを、この一年で理解しました。
 自分のための努力は、なまけてしまう。でも誰かのためにと思う時、人は自分を超えた力が自分にわいてくる。この時、人は充実すると思う。

 鳥達の声も、人間の声も、空なる響きには異ならない。あらゆる声の慈悲を知りつつ内においては、不動の空に宿ること、それこそ空と空の中間の悟りなり。(平成11年5月14日)》

《罪は罪、でも法も罪なり、人は罪、でも心も罪なり
苦悩も悲しみも、何もかもただ愚かなる無口な者たちに
人をあやつるものの罪のない矛盾
法は矛盾をいつも都合よく隠していく
法の人たるゆえん、しかし、真法はいつもそこにある(平成11年6月4日)》

――しかし、いくら反省しようと被害者たちの心情は井上に対して厳しいものだった。法廷で被害者遺族に糾弾された彼は苦悩の思いを綴っている。

《これだけやったから十分というものではありません。本当に真実を少しでもかいまみたなら、いかに自分は貧しく、愚かで迷路に入り、無智であるか、どんどんみえてきます。これだけとか、あれだからというのは、成熟を止まらせるものと今思っています。心の探究は、とてつもなく、深く遠いものですが本当に意味あるものです。

 ――まなざし――
どんなに苦しくとも、私の苦しみなど、とるにたらないもの
かつての両親であった輪廻にみちる真情と比べるなら
どんなに学んでも私の学びなど、ままごとのようなもの
かつてのダルマの求道者の真剣さと比べるなら
どんなにつらくとも私のつらさなど夢のようなもの
今、ここにあるけど、今ここのどこにもない
どんなにかなしくとも私のむなしさなど、とるにたらないもの
かつて苦しめた人々の苦しみと比べるなら(平成11年11月5日)》

《苦しみは、ある面だけでしかなく、受けとる心によって全く別のものへと映ります。
 ほめられ、よろこびをあたえられ、自分の存在に自己愛をもつより自分がめちゃくちゃになる、かなしみや苦しみ、非難、誤解の方が、より本当の自分を知る糧となるものです。
 人の真実は、ぎりぎり自然にあらわれます。(平成11年12月21日)》

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最終更新:7/17(火) 12:24
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