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「特別なことは何もしていないんです」両親から深い愛情を持って見守られた大谷翔平の幼少期

7/18(水) 6:31配信

@DIME

「二刀流」の投打の大活躍で全米にもその名を轟かせている23歳のスーパースター。野球のすべてを愛し、礼儀正しいことで知られる彼の本質を、15歳の時から取材し続けるスポーツライター・佐々木亨さんが語った。

大谷翔平/1994年7月5日生まれ。岩手県出身。小学校3年時に野球を始める。水沢南中学を経て、菊池雄星に憧れ花巻東高校へ進学。高校2年夏、3年春の甲子園に出場。2013年から北海道日本ハムファイターズでプレー。5年間で投手として通算42勝、防御率2.52。打者として通算48本塁打、打率.286。2018年からロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへ。

[幼少期から中学生]
岩手という地で、両親から深い愛情を持って見守られた
 大谷の身体能力の高さは、高校時代から規格外だった。190cm以上の高身長を感じさせない身のこなし。練習でショートのポジションにつくと、華麗なプレーを見せた。両翼100mの球場で、ライトポールのはるか上を越え、場外へ消えていく打球を放ったこともあった。ピッチャーとしては3年夏の岩手県大会で、アマチュア最速となる160kmを記録した。そのどれもがケタ違い。

 ただ、大谷の身近な人たちは、彼をよく知る人であればあるほど、身体能力と同じぐらいに大谷の内面性、つまりは人間性を評価する。人間としての底知れぬ魅力に引き込まれるのだ。

 その原点はやはり、幼少期の環境にある。

■両親が自然と築いた大谷家の特別な空気感
 両親は小さい頃から、彼の考えを優先し、おおらかに育てた。父・徹さんは、末っ子である大谷を「叱った記憶がほとんどない」と言う。7歳違いの兄と2歳違いの姉。どこの家庭にもあるように、子供同士で他愛もないことでケンカをすることはあった。年の近かった姉と「幼い頃はよくケンカをしていたものですよ」と言う徹さんはこうも話すのだ。

「親からすれば、どのご家庭にもあるような本当に他愛もないものです。そんなケンカでどっちもダメじゃないかとふたりを叱ったことはありましたけど、それぐらいですね。翔平が何か悪いことをして怒ったことはないです」

 思春期を迎える中学生の頃によくある、いわゆる反抗期がなかったと言うのは母・加代子さんだ。

「訳もなく反抗したり、態度が悪かったということは特になかったと思います。それは翔平だけではないんですが、子供たちがそれぞれに自分の部屋にこもることもありませんでした。特別に家族みんながものすごく仲がいいというわけではないんですが、家にはテレビが1台しかなかったので、何となくみんなが同じ場所に集まって一緒にテレビを見ることが多かったですね」

 両親はいつだって、末っ子を温かく見守り続けた。親なら誰もが抱く感情かもしれないが、そこには我が子への深い愛情があった。決してかたよりすぎるものではなく、そっと寄り添い、温かく見守る愛情だ。

 大谷家は、食卓での親子間の空気も大事にした。加代子さんは、こんな話をしたこともあった。

「高校に入る前まではガリガリで、食べる量は少なかったんです。だから、とにかく楽しい雰囲気で、家族みんなで食べれば、少しは食べる量が増えるのかなとは思っていました。お父さんが仕事から帰るのを待って、みんなで夕飯をとる。お休みの日には、ホットプレートみたいなもので、家族みんなで楽しくワイワイと食べる。食事に関しては特別なことをしたわけではなかったんですが、自然とそういう空気を作ろうとは思っていました」

■「たくさん支えてもらい自由にさせてもらった」
 特別なことは何もしていないんですよ――。

 ふたりはいつもそう言うのだが、両親が何気なく築いてきた大谷家は、息子にとっては「居心地がいい」場所だった。その空気感が、大谷の人間としての礎を育んだ。彼は、両親への感謝の思いをこう語ったことがある。

「今でもそうですが、親には本当に自分がやりたいように自由にやらせてもらってきました。父親には、やりたければやればいい、やりたくなければ自己責任で、という感じで接してもらいましたし、母親にも『勉強をやりなさい』と言われたことがなかったですし、たくさん支えてもらいながら、自由にやらせてもらってきたと感じています」

 何かの決断に迫られた時は、いつも自らの意思を尊重してくれた両親。また、小学校時代は大谷が所属するチームの監督でもあった父は、5年生頃まで「野球ノート」を息子につけさせていた。試合での反省や課題を書かせ、父がアドバイスを書き込む。いわゆる、野球を通した「交換日記」だ。父は、言葉を書いて頭で理解しながら行動する習慣を身につけてほしいと思っていた。それもまた、大谷の「考える力」の原点と言えるのかもしれない。

 純粋で真っすぐに、野球の「てっぺん」を目指したいという大谷は今、技術のさらなる変化を求めるために日々、課題と向き合う。その一方で、メジャーという新しい環境を誰よりも「楽しんでいる」ように思える。そんな姿を見るたびに、かつて残した彼の言葉を思い出すのだ。

「岩手での時間は本当に楽しく、のんびりと過ごしました。こと野球に関しても、おそらくそういう環境のほうが僕には性に合っていたと思います。個人的には、子供の頃に楽しく、のんびりと野球ができたことはよかったと思っています。楽しくできたおかげで、一回も野球を嫌いになることはなかったですから」

 野球が好きだから――。

 その思いは、今も変わることのない大谷翔平の原動力である。そしてこれからも、進化する彼の大きなエネルギーとなっていく。

取材・文
ささき・とおる

@DIME編集部

最終更新:7/18(水) 6:31
@DIME

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