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「 “まさか”は聞きたくない」西日本豪雨から1カ月、ある被災者の願い

8/9(木) 7:00配信

文春オンライン

 津波によって多くの人命が失われた東日本大震災。
 あの時沿岸部には、津波による大勢の行方不明者を自らの手で捜す家族の姿があった。福島第一原発の周辺地区では、飛散した放射性物質のせいで行方不明の家族を捜すことすらままならなかった人々もいた。
 遺族に取材を重ね『捜す人』を上梓した著者が西日本豪雨災害の現地に向かい、いま思うこととは。

真備町はあの日の東北の光景を髣髴とさせた

 200人以上の死者を出した西日本豪雨被害から1カ月。被害の大きかった岡山県の真備町に入った。住宅や道路、車や畑の農作物にこびりついた泥が酷暑の日差しに乾き、町全体を薄茶色に染めている。あちこちに泥だらけの廃材が山となって積まれ、7年前の東北の地で目にした光景を髣髴とさせた。

 岡山へ入る数日前、私はある男性から電話を受けた。福島県南相馬市に住む上野敬幸さん(45)だ。私が執筆した著書『 捜す人 津波と原発事故に襲われた浜辺で 』の中心人物として、この数年取材を続けてきた方だ。

 「悔しいよ。自分の家族とか、あの震災で亡くなった大勢の人の命が無駄にされてるみたいに思える」。上野さんは電話口でため息交じりにそう漏らした。

 上野さんは7年前の東日本大震災による津波で、両親と娘、息子の4人を亡くしている。瓦礫の中から見つかった娘の遺体を自分の腕に抱き、遺体安置所へ運んだ。息子と父親は未だ行方不明のまま。この7年間、自力で捜し続けてきた。

 今回の豪雨被害に、あの震災で得られたはずの防災意識が活かされていない。それが「悔しい」と言う。

「まさか」「だろう」で命の危機に

 真備町の住宅街を歩いた。全域が浸水した川辺地区では、住民が汗を流しながら浸水した家の片付けに追われている。

 「もう本当にダメかと思いました」

 興奮気味にそう語るのは、この地区に住む丸畑孝治さん(59)だ。

 記録的な大雨が降り続いていた7月6日、丸畑さんは自宅にいた。かつて氾濫したこともある小田川も近いが、避難することなど微塵も考えず、対策らしきことは「何一つしていなかった」。夕方頃、川の氾濫を恐れた息子の裕介さん(36)がやってきて避難を促したが、「考え過ぎだ」と笑い飛ばした。

 その日の夜、地区に避難勧告が出た。避難を呼びかける防災無線は丸畑さんの耳にも届いていたが、「そこまでする必要はないだろう」と自宅に残った。

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