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魂が祝福される瞬間――ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』

9/18(火) 8:00配信

Book Bang

 ミランダ・ジュライの書く物語には、世の中の動きや常識とは相容れない奇妙な人々が登場する。

 彼女の初の長編小説となる「最初の悪い男」の主人公シェリルもそうだ。女性に護身術を教える非営利団体に所属する四十三歳、独身で梨型の体型の冴えない中年女性。ほぼ自宅勤務という業務形態なのだが、ひょっとしたら職場で疎まれているのではないかと思わせるところがある。それを知ってか知らずか、シェリルは自己完結した世界に生きている。彼女は何事も必要最小限で済むような省エネ式の家事の方法を編み出し、悦に入る。

 シェリルも愛を欲してはいるが、その愛の在り方もコミュニケーションなしの一方通行で成り立つタイプのものだ。シェリルが思い浮かべる宿命の相手は、クベルコ・ボンディという幼い子供の姿をしている。彼女は道ですれ違う赤ん坊や子供に勝手にクベルコ・ボンディの魂を投影し、いつかクベルコがおそらく自分の子供として、そうでなくても何らかの形で彼女のもとに現れ、自分のものになるのを夢見ている。それと同時に自分が勤める非営利団体の役員、フィリップ・ベテルハイムにも思慕を寄せ、勝手なラブ・ストーリーを思い描いているのだ。

 そんなシェリルのまったりとした妄想ライフはある日突然、闖入者によって終わりを告げる。非営利団体の運営者夫婦の娘クリーが勝手に居候を決めて、転がり込んで来たのである。二十歳のクリーは巨乳でわがまま、およそ衛生観念というもののない娘で、シェリルがちんまりと作り上げて来た家庭内のルールなんてお構いなし。どっかりとカウチ・ソファに腰をおろしてリビングを占拠してしまう。その足の臭いの強烈なこと。クリーから放たれるこの臭いは重要だ。シェリルが頭の中で作り上げた人々と違って、クリーは有機的な匂いのするリアルな人間なのである。

 そしてリアルな人間とは、リアルなぶつかりがある。体格的に優位に立つクリーに暴力で脅かされたシェリルはある日、反撃に出る。このバトルは二人の習慣となり、更に発展して、護身術の教材ビデオをもとにしたシミュレーション・ゲームになっていく。

 ミランダ・ジュライの描く世界では、それがどんな形であっても肉体的な接触はエロスを帯びている。精神的な関わり合いでさえそうだ。シェリルの思い描く性的なファンタジーはあられもなく、かつ強固なものだが、それでも実際のクリーとのゲームの方がはるかに手応えのある、エロティックなものだ。そして現実のパートナーのいる人間は誰もが彼らだけにルールが通じる、奇妙なゲームに興じている。シェリルのカウンセラーとなるティベッツ医師は、年に三日間だけ色彩療法医のブロイヤード医師の受付嬢を勤めている。長い不倫関係にある二人だけに分かる、マゾヒスティックでねじれたゲームだ。フィリップは十六歳の恋人がいるとシェリルに主張し、何故か彼女にその幼い恋人と性的関係を持つ許可を求めるが、ナボコフの「ロリータ」とは似ても似つかないような物語がそこにはある。

 シェリルとクリーの暴力沙汰がゲームへと変貌を遂げていったように、肉体的なぶつかり合いから生まれたエロスは思いがけない愛を運んでくる。それはいびつで、儚くて、いじらしい、本物のロマンスだ。愛を求めていた孤独な魂は、たくましい妄想力でもってしても描けなかったような奇想天外なルートで報われるのである。

 でもこの小説の素晴らしさは愛の成就ではなく、その愛によってシェリルが真の孤独を獲得していく過程にある。誰かと本当に愛し合うまで、彼女はファンタジーの世界に守られていた。幻の愛は無害で、都合のいい時に現れたり消えたりしたが、本当の人間関係はそうではない。舞い上がるような幸福感と共に、相手を失う恐怖や不安、すれ違いの悲しみも連れてくる。シェリルは愛によって満たされるのではなく、自分の欠けている部分を思い知る。そして欠けたままの自分で独り立ちしていくのである。その境地に至った時、世界は初めて彼女に微笑み返す。誰かと触れ合うことの奇跡に贈られる、万雷の拍手。魂が祝福される瞬間だ。

[レビュアー]山崎まどか(文筆家)

新潮社 波 2018年9月号 掲載

新潮社

最終更新:9/18(火) 8:00
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