ここから本文です

「そんなものに負けてたまるか」西武の石毛宏典はID野球に反発した

9/20(木) 11:20配信

webスポルティーバ

西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(1)

【リーダー】西武・石毛宏典 前編

 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

【写真】西武・橋上コーチ就任1年目、選手との信頼関係はズタズタだった

 1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、”黄金時代”を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ80年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。あの激戦を戦い抜いた、両チームの当事者たちに話を聞く連載がスタートする。

 最初のテーマは「リーダー」。まずは西武・石毛宏典のインタビューをお届けしたい。

◆「ID野球、ふざけるな!」という思いしかなかった

――1992年と1993年に行なわれた、ヤクルトとの日本シリーズから四半世紀が経過しました。石毛さんにとって、この2年間のシリーズはどのような印象が残っていますか?

石毛 俺もあの頃は、ちょうどいい年齢でしたね。1992年が36歳、1993年が37歳か・・・・・・。あの2年間のヤクルトは、野村克也監督の「ID野球」という言葉が話題になっていた。でも俺は、いまだに「ID」が何の略だかわからないよ(笑)。

――「Important Data(データ重視)」の略だと言われていますね。

石毛 「データ重視」って言われたって、俺は特に何も思わなかった。むしろ、「データ、何するものぞ」って。だって、野球は人間のやるスポーツなんですよ。「そんなものに負けてたまるか」っていうのがありました。とにかくあのシリーズは、「森祇晶vs野村克也」、「伊東勤vs古田敦也」、みたいに言われていましたよね。

――もちろん、当時の西武野球でもデータは活用されていましたよね?

石毛 当然、我々だってデータの活用はしていましたよ。でも、そもそも俺はデータというものは参考にする程度で、そんなに重要視はしていませんでした。だって、「このカウントではカーブが来る」というデータを信じて踏み込んでいっても、そのデータが間違っていてデッドボールを食らうこともあるわけです。あるいは、ショートの守備位置からピッチャーの投球を見ていて、逆球で抑えることだってある。だから俺は、よく伊東に皮肉を言いましたよ。「逆球で抑えて、好リードはないだろ」って。

――石毛さんの意識の中には「反ID野球」の意識があったのですか?

石毛 ありましたね。我々プロ野球選手は技術屋なんですよ。投げたり、捕ったり、打ったり、そういう技術で勝負をしているわけです。売り物は技術なんです。野村さんが「ID」と言い続けたのは、我々の意識をそっちに持っていこうという情報操作戦のような気がしましたね。「ID」とか、「メンタル」という言葉に逃げているような気がして、俺は嬉しくはなかった。もちろん、それも大事かもしれないけど、「その前にもっと技術を磨くことに時間を費やせよ」と言いたくなるわけです。だから、「ID何するものぞ」という思いしかなかった。

1/3ページ

記事提供社からのご案内(外部サイト)

Sportiva

集英社

スポルティーバ
10月31日(水)発売

定価 本体1,593円+税

フィギュア特集『羽生結弦 新世界を拓く』
■羽生結弦インタビュー
■トロント公開練習フォトギャラリー
■アイスショープレイバック

あなたにおすすめの記事

Yahoo!ニュースからのお知らせ