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カリスマ教師が担任した翌年はクラスが荒れる!?―「今度の先生面白くないんだもん」の言葉で気付いた「教師の役割」

9/21(金) 14:00配信

教員養成セミナー

教師の醍醐味

■ 教師って、何だろう?
 教育学部の学生たちと付き合っていると、「先生になって子どもたちを変えたい」とか、「子どもたちの記憶に残りたい」とか言う学生たちに時折出会います。

 それはそれとして、必ずしも悪いことではないとは思います。でも私は、その度にいつも強い違和感を抱くのです。

 よく、「先生ってこんなに素晴らしい仕事だよ」ということを、ベテラン先生などが学生たちに語りに来てくださいます。その時も、たとえば卒業式で「○○先生、今まで本当にありがとうございましたーっ!!!」などと子どもたちが叫ぶ映像を見せて、「これが教師の醍醐味なんだよ」なんて語ってくださる先生が少なくありません。

 でもその時も、私はやっぱり少し違和感を抱かざるを得ないのです。

 子どもたちを、もしかして自分の承認欲求の道具にしてしまってはいないだろうか? と。

 教師も人間。承認欲求はあって当然です。子どもたちに認められたい、好かれたいと思うのは自然なことだし、悪いことでもありません。むしろ、それが全くなければ、教師の仕事の魅力は半減してしまうだろうと思います。

 でも、それこそが教師であることの一番の目的になってしまったなら、それは大きな問題だと思うのです。

■ カリスマ教師が気付いた自己矛盾
 今、軽井沢風越学園という、幼小中「混在」校を2020年に設立するため準備を進めています。そのプロジェクトを一緒にしている岩瀬直樹さんが、こんな印象的なエピソードを語ってくれたことがあります。

 かつて、岩瀬さんは小学校のいわばカリスマ教師でした。みんなのリーダーで、圧倒的に「面白い授業」をする先生でした。それこそ、卒業式になるとみんなが泣いて先生との別れを惜しむ。まさに、承認欲求が満たされまくる日々。

 ところがそのために、次の年に担任が変わると、クラスが荒れるということが何度も続くようになりました。「今度の先生面白くないんだもん」。子どもたちはそう言っていたそうです。

 さらにこんなこともありました。クラスの子どもたちが、「イワセン、今度はどんな面白いことをやってくれるの?」と口々に言ってくるようになったのです。

 これらの体験を通して、岩瀬さんは自分の実践を深く省みることになりました。「自分はもしかしたら、子どもたちを池の水面で口をパクパク開けて餌を待っている鯉のようにしてしまっていたんじゃないだろうか」と。ただ楽しませてもらうことを待っているだけの子どもたち。それは本当に、子どもたちの成長のためになっているんだろうか?

 以来、岩瀬さんは、どうすれば「学びのコントローラー」を子どもたちに委ねられるのか、子どもたちが学校づくりの主役になれるのか、考え、悩み、奮闘する日々を送るようになります。その探究の成果は、『クラスづくりの極意』や『せんせいのつくり方』などに詳しいので、ご興味のある方にはぜひお読みいただければと思います。

 その後も、岩瀬さんは日々悩み、考え、実践を深めていますが、そんな岩瀬さんに、ある時私はこんなことを聞いたことがあります。「どうして岩瀬さんは、そんなに自分を反省してばかりいられるんですか? 実践を振り返り、深めようとし続けることができるんですか?」

 岩瀬さんはこう答えました。「それはやっぱり、自分の実践が子どもたちを苦しめてしまってるんじゃないか、不幸にしてしまってるんじゃないか、自由になれないようにしてしまってるんじゃないかと思うと怖いんですね。今この目の前にいる子どもたちだから」。

■ 教師として悩み、探究し続けよう
 昨年、一緒に『問い続ける教師』という共著書を出した、小学校のベテラン中のベテラン先生である多賀一郎先生もまた、たくさんの失敗をして、もがいて、そこから、本当に子どもたちのためになる教師とはどんな存在なのかを考え続けてこられた先生です。

 私の見るところ、多賀実践の真髄は、先生が中心になって子どもたちを思い通りに動かすことでは全くなく、その反対に、「子どもたちを信頼して、任せて、支える」。あれをしろ、これをしろと指示ばかりしたり、手取り足取り面倒を見てばかりいては、子どもたちが自分で育つなんてことはありません。子どもたち自身があらゆることにチャレンジする。もちろん何度も失敗をする。でもその失敗からこそ、子どもたちは力強く学ぶ。そして先生は、そんな子どもたちの主体性をとことんサポートする。

 と言って、多賀先生は単なる好々爺ではなく、個性あふれる愛すべき頑固オヤジでもありますので、ぶつかる時は丸裸になって子どもたちとぶつかります。そんな子ども以上に子どもらしいところも、多賀先生の魅力です。

 実は私は、子どもの頃学校が好きではありませんでした。何人かの恩師には恵まれましたが、先生という存在も、基本的にはあまり好きではありませんでした。こちらの主体性をことごとく奪ってくる統制者。そんなふうに思っていました。

 でも今、多くの素晴らしい先生方に出会って、「先生アレルギー」がちょっとずつなくなってきています(教育学者がこんなことを言うのはちょっとおかしいかもしれませんが)。むしろ今、先生って本当に尊敬すべき仕事だと、心底思っています。

 自分の実践は、本当に子どもたちの幸せや自由につながるものなのか。そう、日々悩み、考え、よりよいものへと変えていく。そんな先生がたくさんいます。

 私は、誰もが多賀先生や岩瀬先生みたいになるべきだとは全く思いません。むしろそんなことは思わないほうがいい。一人ひとりの先生が、教師としての自分のあるべき姿を、自分の頭で、そして他の人たちとの対話を通して考えていくべきです。

 でもその上で、何が教師の醍醐味かと問われれば、私はこんなふうに言いたいと思っています。

 それは、「先生、先生」と子どもたちにチヤホヤされて有頂天になることなんかではなく、子どもたちの幸せで自由な人生のために、その成長のために、自分に何ができるのかをずっと考え、悩み、探究し続けられることにこそあるのだと。


苫野一徳
熊本大学教育学部准教授
1980年生まれ。兵庫県出身。哲学者・教育学者。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。博士(教育学)。著書『はじめての哲学的思考』『教育の力』など多数。

※『月刊教員養成セミナー 2018年10月号
「哲学する教育学者 苫野一徳の教育探求コラム ―教師の卵に考えて欲しいこと」』より

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