ここから本文です

ロシア史上最悪、9名が怪死した遭難事件の謎を解く

9/21(金) 6:01配信

ダイヤモンド・オンライン

● 冷戦下のソヴィエトで起きた 未解決の「ディアトロフ峠事件」

 一般に、本は読めば読むほど物知りになれると思われがちだが、実際は逆だ。読めば読むほど、世の中はこんなにも知らないことであふれているのかと思い知らされる。その繰り返しが読書だ。

 本書『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』で取り上げる「ディアトロフ峠事件」をぼくはまったく知らなかった。これは冷戦下のソヴィエトで起きた未解決事件である。

 1959年1月23日、ウラル工科大学の学生とOBら9名のグループが、ウラル山脈北部の山に登るため、エカテリンブルク(ソ連時代はスヴェルドロフスク)を出発した。

 男性7名、女性2名からなるグループは、全員が長距離スキーや登山の経験者で、トレッキング第二級の資格を持っていた。彼らは当時のソ連でトレッカーの最高資格となる第三級を獲得するために、困難なルートを選んでいた。資格認定の条件は過酷なものだったが、第三級を得られれば「スポーツ・マスター」として人を指導することができる。彼らはこの資格がどうしても欲しかったのだ。

 事件は出発から10日後の2月1日に起きた。この日、一行はホラチャフリ山の東斜面にキャンプを設営し(ホラチャフリはこの地に暮らすマンシ族の言葉で「死の山」を意味する)一夜を過ごそうとした。ところが、その夜になにかが起きたのだ。

 わかっているのは、何らかの理由でメンバー全員がテントを飛び出し、マイナス30度の闇の中に散り散りに逃げていったということ。後に9名の遺体が発見されたのは、テントから1キロ半ほども離れた場所だった。彼らはろくに服も着ておらず、靴もはいていなかった。検死の結果も不可解だった。6人は低体温症で死んでいたが、残る3人は頭蓋骨を骨折しており、女性メンバーのひとりは舌がなくなっていた。さらに、遺体の着衣からは異常な濃度の放射線が検出されたのだ。

 事件が起きた一帯は後にトレッキング隊のリーダー、イーゴリ・ディアトロフの名をとってディアトロフ峠と呼ばれるようになった。事件発生から半世紀以上たった今も真相は闇の中だ。ロシアではこの事件に関する書籍が無数に出版されており、雪崩や吹雪、何者かによる攻撃、放射線廃棄物原因説から、UFOや宇宙人に至るまで、さまざまな説が唱えられてきた。近年は国家機密のミサイル発射実験(冷戦下のウラル山脈ではたびたび行われていた)を目撃したせいで殺された、などという説も登場し、ネットを賑わせているという。

 この遭難怪死事件にアメリカ人のドキュメンタリー映画作家が挑んだ。『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』は、幼い息子と妻を残し、二度にわたるロシアでの長期取材を敢行、貯金もすべて使い果たすほど事件のめりこんだあげく、その真相を突き止めた男の執念の記録である。

 著者はある映画のための調査をしている中で、たまたまこの事件を知り、新しい情報がないかとネットサーフィンを繰り返すうちに、ネットで読める資料はあらかた漁り尽くしてしまう。気がつけば事件に完全にのめりこみ、もっと詳しいことを知らずにはいられなくなっていた。

● グループに唯一の生存者 体調を崩して途中で引き返し命拾い

 本書の巻頭には、ディアトロフらメンバーの写真が生没年とともに掲載されているのだが、この中にひとりだけ、没年が1959年ではなく、2013年になっている人物がいる。実はグループには唯一の生存者がいたのだ。その人物の名は、ユーリ・ユーディン。彼はグループの10人目のメンバーだったが、体調を崩して途中で引き返し命拾いしていた。

1/2ページ

記事提供社からのご案内(外部サイト)

特集1 テクノロジー 財務 人事 待遇
4つの格差が決める メディアの新序列
特集2 地域ブランド調査2018
魅力ある街のヒミツ