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中国人が日本の「果物」に心底唖然とした理由

9/21(金) 9:00配信

東洋経済オンライン

 何年か前、上海の外国語大学で講演をしたことがある。そこで、『深夜特急』を日本語で読み、同じような旅をしてみたいと思ったという学生に出会った。彼によれば、3年ほど外国を旅してから帰国し、復学したのだという。中国にもそのような自由な旅をする若者が現れるようになったのかと驚かされた。

 実際、ここ数十年、さまざまな土地で日本以外のアジアの若者と出会うことが多くなった。そして、そうした若者に先導されるようにして、アジアのごく普通の人たちが旅をするようになっている。

 かつて、私たちが旅する土地としてのアジアを発見したように、いま、アジアの人たちが、旅する土地としての日本を発見してくれている。そして、彼らは日本を旅して驚き、感動する。かつてアジアを旅していたときに私が驚き、感動した対象が彼らにとって意外なものだったように、私たちも彼らが驚き、感動するものを知って、意表を衝かれる。まるで、合わせ鏡で自分の見えないところを見させてもらったかのように。そう、旅人とは、その土地の人々にとって、ひとつの鏡となりうる存在なのだ。

 彼らにとって、日本の何が驚きであり、感動の対象であるのか。

■日本は世界の静かな中心を目指せばいい

 たとえば私の知人にマカオ在住の日本人男性がいる。その妻は中国人だが、彼女が中国人の友人たちを連れて日本に遊びに来た。彼らは、日本の道路やトイレのきれいなこと、駅員をはじめとして公的な機関やそれに準ずるようなところに勤める人たちの親切なこと、さまざまな場所で出される食べ物が実にていねいに作られていることに驚きつづけていたという。とりわけ日本の果物の輝くような美しさとおいしさには驚きを通り越してあぜんとしていたという。ひとりの女性などは、桃の甘さに「これは砂糖水を注射器で注入したにちがいない」と言ってきかなかったくらいだという。

 こうしたことを聞いたり見たりすることで、私たちにとって大事なことが何か逆にわかってきたりする。彼らが感動するのは、どうやら私たちが「高度経済成長」によって直接手に入れたものではないらしい。そういえば、すでに、中国や香港だけでなく、台湾にもタイにもマレーシアにもシンガポールにも高層建築群は存在しており、高速鉄道がある国も珍しくなくなっている。彼らはそういうものではなく、日本人にとってはなんでもないこと、つまり、清潔なこと、親切なこと、おいしいことといったようなものに心を奪われているらしいのだ。

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