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「僕は野球を二度なめたことがある」中日・荒木雅博、41歳の告白

9/24(月) 11:00配信

文春オンライン

「春先、2軍の時に色んな曲を聴き返していたら、心に染みる曲があったんです。歌詞が今の自分にぴったりで」

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 荒木雅博は優しい笑顔で教えてくれた。

「父には5年で駄目なら、熊本で就職しろと言われていました」

「足は速いが、非力な選手」というレッテル

 入団1年目の1996年9月。初めてナゴヤ球場で1軍の試合を見学した。

「ナイターも初めて。同期入団の益田(大介)さんがイニング合間にライトの(アロンゾ)パウエルとキャッチボールをしている姿しか覚えていません。1軍は別世界でした」と笑う。

 しかし、追い風が吹く。翌年、ナゴヤドームが誕生し、俊足の選手が必要となった。荒木は63試合に出場し、12盗塁。初安打、初打点も記録。高卒2年目としては上出来だった。

「意外と活躍できたと思いました。ただ、この考えがレギュラー獲得を遅らせたんです。正直、プロ野球をなめました」

 驚きだ。現に3年目は出場7試合。ヒットも盗塁もゼロだった。

「オフに星野(仙一)さんからスイッチヒッター転向を命じられ、目が覚めたんです。打撃も磨かなければ、このまま終わると」

 荒木は一心不乱にバットを振った。そして、4年目のヤクルト戦で左腕の石井弘寿から左でヒットを打つ。「スイッチなら右打席のはず。でも、その年は左1本で勝負しようと決めていましたから」と振り返る。

 しかし、そんな覚悟も報われない。結局、4年目のヒットはこの1本。5年目は2本。「足は速いが、非力な選手」というレッテルが体中に貼られていた。

 背水の6年目。オープン戦の序盤、水谷実雄コーチから驚愕の指示が出る。

「スイッチはもういい。右だけにしろと。もう言われるがまま。すると、忘れられないヒットが出たんです。西京極で巨人の入来(祐作)さんからツーベース」

 ここから荒木は加速した。オープン戦で4割3分5厘。1軍でも111試合3割3分8厘。ついにレギュラー奪取と思いきや、次の告白に耳を疑った。

「僕、またここでなめたんです」

 2002年に山田久志が監督就任。大胆なコンバートを行い、二遊間には井端弘和と荒木を起用。勢い良くポジションを掴んだかに見える。

「でも、成績を見て下さい。山田さんのお陰で試合には出させて頂きましたが、打率は2割そこそこ。本当のレギュラーではなく、出ているだけの普通のセカンド」

 2002年が2割5分9厘。2003年が2割3分7厘。盗塁はいずれも16個。物足りない数字だ。

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最終更新:9/28(金) 10:15
文春オンライン

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