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桃田賢斗「まわりに支えてもらって」一度は薄れかけた力を強く感じて。

9/24(月) 17:01配信

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 大会が終わって数日という時を経ても、そのプレーと優勝が決まった瞬間の姿は印象的だ。

 9月16日、バドミントンのジャンパンオープン男子シングルス決勝。桃田賢斗はスマッシュを決めて勝利を得ると緊張からの解放感からか、ひざまずいた。

 今夏の世界選手権を制し、アジア大会は疲労もあって優勝には至らなかったが、ジャパンオープンには、「世界選手権より勝ちたかった」というほど期すものがあった。

 1つの理由としては、世界選手権で成績ほどの手応えを得られなかったからだ。同選手権では強豪選手が次々に敗退し、直接対戦する機会がない中での優勝となった。桃田自身も腹筋を痛め、ディフェンスを意識した戦いを余儀なくされた。引き出しの多さで勝利を手にしたがが、それも手応えを薄れさせた要因になったかもしれない。

 迎えた今大会には海外の強豪選手が集い、日本で行なわれる国際大会では最高峰に位置づけられる。組み合わせを考えても、そうそうたる顔ぶれとぶつかることが予想され、勝利への欲求は強かった。

昨年、復帰直後の桃田は観客席にいた。

 しかし、それだけが理由ではなかった。

 昨年、桃田は不祥事による謹慎から競技に復帰したが、ランキングが下がっていたためジャパンオープンには出場できず観客席から試合を見守った。そのときよぎった気持ちを明かす。

 「この舞台に立つことすらできないと思っていました」

 そんな思いに駆られた大会に、今年出場を果たすことができた。だから今大会への思いは一層強まっていた。

 そして桃田は、単なる復活以上の成長を見せつけた。

「まわりに支えられて、試合ができました」

 例えば北京、ロンドン五輪金メダリストの林丹(中国)との一戦。3年前の全英オープンでは一蹴された相手に、ドロップ、カット、そしてスマッシュで効果的に組み立て、21-8、21-10と圧勝した試合。

 強さをいかんなく発揮して優勝を決めたあと、桃田はこう喜びを表した。

 「まわりに支えられて、試合ができました」

 その言葉は、高校を卒業して間もない頃の取材での言葉を思い起こさせた。

 「心温かく迎えてくれて、応援してくれることがほんとうにありがたいことだと感じました。支えてくれる人たちに恩返しがしたいと思いました」

 当時桃田がいた富岡高校は、福島の原発事故により同県の猪苗代町へ避難していた。避難先で生活しながら仮校舎に通い、町の体育館で練習を続けた。

 「このチームでやりたい」という思いが原動力だったが、猪苗代町で過ごす日々に実感したのは、応援してもらうことで得られる力だった。その力が、高校3年でのインターハイ優勝をもたらしたのだと桃田は言っていた。

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最終更新:9/24(月) 17:01
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