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中村俊輔が、F・マリノスの「新エース」天野純に対して発したひと言

9/25(火) 6:21配信

webスポルティーバ

“新旧エース対決”は、かつての”エース”が貫禄を示した。

 Jリーグ第27節、ジュビロ磐田と横浜F・マリノスが激突。同ゲームでは、F・マリノスの元エースであるジュビロの中村俊輔と、先日始動した新生・日本代表に招集され、F・マリノスの現エースである天野純との直接対決が注目された。

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 中村は、18歳のときにプロ生活をスタート。3年目の1999年には「10番」を背負って、F・マリノスの中心選手になった。

 その後、2002年には活躍の場を”世界”に移した。海外の舞台でも輝かしい実績を残して、2010年に再びF・マリノスに戻ってきた。南アフリカW杯を見据えての帰国だったが、同W杯では主役の座を奪われて、苦しい時間を過ごした。

 普通の選手であれば、そこで選手生命が終わっていたかもしれない。しかし、中村は違った。苦しい状況のなかにあっても、そこからさらに成長する自らの姿をイメージし、トレーニングを重ねた。その結果、Jリーグの舞台で再度輝きを取り戻した。

 2013年には10得点を挙げるなどして、リーグ戦で優勝争いをするチームの躍進に貢献。JリーグMVPを受賞し、天皇杯では圧倒的な存在感を示してチームを優勝へと導いた。

 そして翌年、中村は再び「10番」を背負った。

「ミスター・マリノス」木村和司から、時代を越えて受け継がれてきた”エース”ナンバー。中村は、何度となく挫折を味わいながらも、そのつど奮起して、その背番号にふさわしい選手へと今一度上り詰めたのである。

 だが、2016年シーズン終了後、フロントの方針などに違和感を抱いて、F・マリノスを退団。ジュビロに移籍して、そこでも「10番」を背負い、40歳となった今なお、中心選手としてプレーしている。

 一方、天野はF・マリノスの下部組織で育ち、順天堂大学を経て2014年にF・マリノス入り。プロ4年目の昨季、攻撃の組み立て役として力を発揮し始めると、今季はチームに欠かせない中心選手となった。中村ばりの精度の高いFKとパス、独特なゲームメイク術によって、アンジェ・ポステコグルー監督の目指す、多彩な攻撃サッカーの軸を担っている。

 その活躍が評価されて、森保一監督が新たな指揮官となった日本代表に追加招集された。27歳で初の代表メンバー入りを果たしたのである。

 森保ジャパンの初陣となるコスタリカ戦では、ふたり目の交代選手として後半30分から途中出場した。それは、追加招集ながら、トレーニングで自らの存在をアピールし、森保監督の信頼を勝ち得た証拠だった。

 4-4-2でスタートした布陣は、天野がトップ下に入ることで4-2-3-1となった。F・マリノスでインサイドハーフやトップ下などをこなしている天野は、慣れたポジションに入って、ボールを効果的に散らし、ボックス内にも積極的に入っていく動きを見せた。そうして、トップ下を置くシステムが、チームのオプションとして使えることを示したのである。

「代表では、これまでに経験したことのないプレッシャーがあった。この中で戦ってきた選手たちは、本当にすごいなと思った。これからは(自分も)日本代表選手として見られることになるし、(チームでも)違ったプレッシャーを感じると思う。それは、今までなかったこと。でも、みんなそういうのを経験して強くなっていくので、(自分も)がんばっていきたい」

 天野は、初代表での15分間の経験をそう振り返って、代表定着への意欲を見せた。

 その代表戦から、2戦目となるジュビロ戦。「中村俊輔の後継者」と言われる天野が、その中村本人を敵に回して、どんなプレーを見せられるのか。それは、日本代表を経験した天野の”現在地”を推し量るうえで、もっともわかりやすい”物差し”になると思われた。

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