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西武と戦って広澤克実が得た自信。「巨人も広島もたいしたことない」

9/25(火) 11:54配信

webスポルティーバ

西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(3)

【リーダー】ヤクルト・広澤克実 前編

 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

【写真】「そんなものに負けてたまるか」西武の石毛はID野球に反発した

 1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、”黄金時代”を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ80年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。あの激戦を戦い抜いた、両チームの当事者たちに話を聞く連載の2人目。

 最初のテーマは「リーダー」。前回の西武・石毛宏典に続き、今回はヤクルト・広澤克実のインタビューをお届けする。


◆1992年は、戦う前からライオンズに呑まれていた

――ヤクルトスワローズと西武ライオンズが激突した1992年と1993年日本シリーズ。広澤さんはスワローズの主軸として活躍されていました。当時、西武についてはどんな印象をお持ちでしたか?

広澤 1992年は何とかセ・リーグで優勝して西武と戦うことになったけど、私は正直、西武に呑まれていましたね。だって、向こうのピッチャ-には郭泰源(かく・たいげん)と石井丈裕がいて、さらに工藤公康、渡辺久信がいて、渡辺智男でしょ。抑えも鹿取(義隆)さんに潮崎(哲也)がいたし、「一体、誰をどうやって打てばいいんだよ」って感じでしたから。

――戦う前から、完全に呑まれていた?

広澤 呑まれてましたね。西武のビジターの青いユニフォームがとても強そうに見えたし、向こうの球場に行くと、「ア、ア、ア、ライオンズ~、ライオンズ~」って聞こえてくるわけです。アレを聞くとビクッとくる。もうアレが大っ嫌いだね(笑)。

――もはや、松崎しげるさんの歌声にまで呑まれていたんですね(笑)。一方のライオンズ打線についての印象はいかがでしたか?

広澤 うちの投手陣じゃ、西武打線を抑えられるとは全然思っていなかったですよ。コテンパンに打たれるんじゃないかと。もうボッコン、ボッコンにね。でも、1992年の初戦で岡林(洋一)が延長12回を完投して勝利投手になったでしょ。あのとき、「あれ、岡林が通用するの?」って思いましたよ。次の第2戦も負けはしたけど、(荒木)大輔が西武打線を抑えたでしょ。これで、「4勝はできないかもしれないけど、意外とやれるかもな」って。

――初戦の岡林投手の好投が、広澤さんを含めたチーム全体に勇気を与えたんですね。

広澤 岡林があんなに抑えるとは思わなかったですね。多分、あのときはチーム全員が西武を過大評価して、自分たちを過小評価していたんだと思いますね。そうするとね、野村監督への思いもまた変わってくるわけです。「やっぱり、あのオッサンは大したもんだな」って。あらためて、「この人の言うことをオレたちが実践できれば、意外とやれるかもしれない」っていう思いが芽生えてきましたね。

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