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優等生よりも不良や「おバカ」が持て囃される風潮への違和感 ドイツの教育制度を見てみると

9/25(火) 6:31配信

デイリー新潮

元不良自慢は許されるのか

 どういうわけだか、子どもの頃からずっと真面目な人よりも、かつてはグレていたのに更生した人のほうが持て囃される風潮には根強いものがある。「元不良」「元総長」といった経歴の芸能人、タレントが昔の武勇伝を語っても、微笑ましい話として受け止められ、下手をすると美談とされるのだ。実際にはその蛮行には被害者や犠牲者がいるはずなのだが、そのへんは特にテレビでは軽視されがちだ。

 似たような現象は、「おバカ」に関しても見られる。テレビの世界では、勉強が出来ないこと、知識がないこと、敬語が使えないことも、「おバカ」というネーミングによってあたかも魅力のように持て囃される傾向がある。

 こうした風潮に疑問を抱く「普通の人」「真面目な人」も少なからずいるのだろうが、そういう「普通で真面目な意見」は面白みがないということか、あまり相手にされない。

 ドイツ在住のライター、雨宮紫苑氏も、優等生の肩身が狭いという風潮に疑問を抱く一人。子どものころから、「マジメ」を軽視する風潮に違和感を抱いていたが、海外での生活を経て、さらにその違和感は大きくなったようだ。

 著書『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』の中で、雨宮氏はこの問題を教育問題と絡めて考察している(以下、引用は同書より)。

「わたしは小さいころから本が好きで、漢字字典が大のお気に入りという変な子どもだった。博物館にもよく足を運んでいたし、夏休みの宿題は7月中に終わらせていたタイプだ。だから、大人からは『マジメだね』と言われることが多かった。でも友だちの前で『マジメ』と言われるのがとても嫌だったことを覚えている。マジメ=ガリ勉でかっこ悪いという認識があったのだ。

 なぜマジメ=恥ずかしいと思っていたのかというと、日本では優等生タイプを妙に貶めたがる傾向があるからだと思う。

 たとえば、最近東大生が出演するテレビ番組が増えている。そこでは、『東大生なのにかわいい』だとか『東大生なのにオシャレ』というような、『東大生はブスでダサいガリ勉ばかり』という前提に基づいた偏見あふれるコメントが平気で放送される。

 一方で、おバカキャラの芸能人がしょっちゅうテレビを賑わせている。最低限の敬語も使えず、義務教育で習うような内容すら頭に入っていないのに、それが『気取っていない』とウケるのだ。これがわたしには、不思議でしょうがない。教育を受けさせる義務がある日本で掛け算ができない人がいるのなら、家庭環境や学校のサポートが厳しく追及されるべき案件じゃないだろうか。それなのに、なにをのんきに笑いのネタにしているのだろう。

 ただ、こういう傾向は今に始まったものではない。たとえば、アニメで瀕死の敵が助けを求めているシーンがあるとしよう。だれかが『罠かもしれないから様子を見よう』と言う。それに対し『それじゃ間に合わない』と助けるキャラがいる。

 前者の発言はだいたい優等生のリーダータイプで、後者はヤンキータイプと相場が決まっている。なんだかよくわからないが、人としての思いやりがあるキャラというのは、優等生ではなくヤンキーキャラが多い。

 小説やアニメの世界では、優等生=他人を注意する面倒な性格、知識をひけらかす鼻持ちならないインテリ野郎、といったキャラ設定される。そういった鼻持ちならない優等生の鼻を明かすのは決まって劣等生で、最終的に落ちこぼれがのし上っていくストーリーが好まれる。それ自体が悪いわけではないが、ちょっと劣等生びいきがすぎるんじゃないだろうか。

(略)

 勉強ができる人を不当に評価しない風潮には、どうしても違和感がある。学歴だけがすべてではないにせよ、ギターがうまい、オセロが強い、足が速いといった強みとおなじように、勉強ができる、博識であるということだって十分評価されるべきだろう」

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最終更新:10/3(水) 16:43
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