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始めて半年で国際大会優勝。パラ陸上に 現れた超新星、井谷俊介はまだまだ伸びる

9/27(木) 11:20配信

webスポルティーバ

 東京2020パラリンピックの開幕まで2年を切り、選手強化が急がれるなか、パラ陸上界で鮮烈なデビューを果たしたのが、右脚義足のスプリンター、井谷俊介(ネッツトヨタ東京)だ。

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 陸上競技を本格的に始めたのは昨年11月。わずか半年後の今年5月に中国・北京で行なわれた国際大会で初の公式戦に出場すると、男子T64(片下腿義足など)クラスの100mで12秒91をマークして優勝でデビュー戦を飾る。さらに、7月1日には国内初戦となる関東パラ陸上競技選手権大会(東京・町田)に出場し、12秒05で初優勝。しかも、100mと200mのアジア記録をもつパラリンピアン、佐藤圭太(トヨタ自動車)を0.02秒抑えての快挙だった。

「ケガの不調もあり、勝てるとは思っていなかったので驚きました。すごくうれしいです」

 その6日後に行なわれた、ジャパンパラ競技大会(群馬・前橋)では佐藤が巻き返し、2位に終わったが、記録は12秒01と再更新。一躍脚光を浴びる存在となった。

 とはいえ、「これまでの3レース。納得できた走りは1本もない」と胸の内を明かす。

 実は、北京大会の2日前、練習中に義足側の右太ももに肉離れを発症。ケガの完治を優先させ練習量を抑え、しつこく残る痛みや再発の不安を抱える中でのレースはすべて、100%の走りではなかった。

 それだけに、十分な練習を積み、自信を持ってスタートラインに立てたら、いったいどんな走りができるのか――。

 現在、23歳。三重県に生まれ、高校までは野球に打ち込み、大学に入ると、子どもの頃から好きだったカーレースを始めた。「プロのドライバーになる」という夢への途中、交通事故に遭い、右脚の膝から下を失う。2016年2月のことだった。

「これから、どうしたらいいんだろう」

 将来への不安に襲われ、愕然とした。それでも、想像以上にショックを受け、悲しむ家族や友人たちの姿を目の当たりにして、「前向きにがんばることで、みんなを笑顔にしたい」と、挑戦心を取り戻した。

 義足でのリハビリは強い痛みを伴い、医師からは、「歩くのに半年、走るのは1年以上かかる」と言われ、心が折れそうになることもあったが、周囲の励ましを力に、毎日リハビリの時間以外に1時間、病院内の歩行を自分に課した。おかげで切断手術から1カ月半でスピード退院し、大学にも復学した。

 陸上競技との出会いもその頃だ。三重県内で活動する障がい者のためのスポーツクラブを母が見つけ、一緒に訪ねた。初心者向けの競技用義足を借り、久しぶりに走ると、体を動かす楽しさが甦った。ここからは自然な流れで、「2020年東京パラリンピック出場」を目指すようになる。

 目標が決まると、井谷は強い。積極的に思いを口にしたことで、多くの支援者を引き寄せた。今年4月には所属先も決まり、上京。憧れのレーサー、脇阪寿一氏とも出会い、今では「東京の父」と慕う。

 スプリンターとしての急成長は、脇阪氏から紹介された仲田健トレーナーの指導の賜物だ。陸上経験のない井谷は体の使い方や理想のフォームなどから、試合に向けた調整やアップ方法まで、今もなお「仲田さんから、1から10まで。いや、それ以上に」教わる毎日だという。

 まずは、戦える体をつくること。特に、切断によって落ちてしまった右太ももの筋力強化に取り組んでいる。また、すぐに肉離れで苦しんだことで、「アスリートにとってケガが一番怖いと学んだ。これからに生かしたい」と、自身の体と向き合う。

 陸上についてもビギナーだけに課題を挙げればきりがないが、裏を返せば、“伸びしろしかない”とも言える。例えば、フォーム。今は脚が後ろに流れるクセがある。体の前で脚を着いてしっかり踏み、地面からの反発をしっかり得て推進力に活かせるように、仲田氏のアドバイスのもと矯正中だ。「義足でどう走るかというより、走りの基本技術を高めたい」と話す。

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