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【ドラフト会議物語15】「九州は遠い……」。江川卓がまたも1位を拒否【1977年】

10/12(金) 11:02配信

週刊ベースボールONLINE

今年は10月25日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で54年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。

騒然となった場内

1977年11月22日
第13回ドラフト会議(ホテル・グランドパレス)

[1位選手(×は入団せず)]
クラウン 江川卓 (法大)×
巨人   山倉和博(早大)
阪急   松本正志(東洋大姫路高)
阪神   伊藤弘利(三協精機)
大洋   門田富昭(西南学院大)
ヤクルト 柳原隆弘(大商大)
日本ハム 石井邦彦(大東文化大)
広島   田辺繁文(盈進高)
近鉄   金光興二(法大)×
南海   中出謙二(新日鉄堺)
ロッテ  袴田英利(法大)
中日   藤沢公也(日鉱佐賀関)
 
 4年前に阪急の1位を拒否した怪物・江川卓。その後、法大に進学し、東京六大学で47勝を積み上げ、評価はさらに上がっていた。当然、全チーム、ノドから手が出るほど欲しい逸材だ。ただ、本人の希望球団は巨人。異例の「他球団お断り会見」もあった。巨人以外は拒否の可能性が高い中で、あえて指名に出るかが注目された。

 しかも、運命の指名順抽選で巨人は2番を引く。1番のクラウンが指名しなければ江川の夢はかなう。もともとは西鉄が手放した球団で、クラウンライターは、いわばネーミングライツ。ずっと深刻な経営難に苦しんでいた。江川指名は回避するのでは、というのが会場の雰囲気だった。

 しかし、進行役の伊東一雄さんから発せられたのは「クラウンライター、江川卓……」の声。巨人関係者は顔色を失い、クラウン関係者は得意満面。場内は騒然となった。だが、江川は「九州(クラウンの本拠地は福岡)は遠い」と拒否し、作新学院高職員の身分で南カリフォルニア大に留学。この時点での世間の雰囲気は「江川がかわいそう。来年のドラフトではなんとか巨人に入って夢をかなえてほしい」だった。

 江川獲得のチャンスを失った2番目の巨人は大学No.1捕手・山倉和博を指名。ほか1位では子連れ大学生と話題になった門田富昭が大洋、江川と法大でバッテリーを組んだ袴田英利がロッテ(73年にもロッテに3位で指名されたが拒否していた)。さらに、いままで4度のドラフト指名をすべて拒否していた藤沢公也は中日に指名され、新記録となる5度目の指名。このときもやはり渋ったが、結局、翌年のドラフト会議前に契約。パームボールを武器に79年の新人王となっている。

 1位で拒否は江川と、のち母校・法大監督にもなる金光興二の2人だけだった。ロッテ6位では川口和久(鳥取城北高)が指名されていたが拒否。のちデュプロを経て、80年のドラフト会議で広島から1位指名され入団した。

 2位では日本ハムの強打者、ボンバーこと古屋英夫(亜大)、近鉄79年初優勝時の抑え投手・山口哲治(智弁学園高)、さらに中日ではスピードガンの申し子・小松辰雄(星稜高)もいる。

 3位には、のちのエース、さらにクローザーでも実績を挙げ、江川をライバルと目した大洋の遠藤一彦(東海大)。大洋は6位で俊足外野手・屋鋪要(三田学園高)も獲得と大成功のドラフトだった。

 ほかヤクルト4位で好投手・尾花高夫(新日鉄堺)、広島4位で個性派捕手の達川光男(東洋大)、日本ハム6位に名手と呼ばれた同じく捕手の田村藤夫(関東一高)らがいる。なお、達川は大学の寮で2位指名まで見た後、もう自分の指名はないだろうとパチンコ屋に行き、そこで後輩から指名されたと聞いたという。

<次回に続く>

写真=BBM

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