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松沼博久 広岡理論で完全復活を果たした“兄やん”/プロ野球1980年代の名選手

10/12(金) 11:06配信

週刊ベースボールONLINE

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

日本シリーズで3度、初戦先発

「お兄ちゃんの投球フォームじゃ肩が痛くなるよ。でも理にかなったフォームに変えたら大丈夫だから」

 1982年に西武の指揮官に就任した広岡達朗監督が、こう声を掛けた。実際、その前年に肩を痛め、キャッチボール程度しかできなくなっていた。プロ4年目を迎えた松沼博久だ。東京ガス時代には78年の都市対抗で大会記録の17奪三振。江川卓の獲得をめぐってドラフトをボイコットした巨人にも声を掛けられたが、「そういうことをする巨人より、強いか弱いか分からないけど新興の西武に入ったほうが、おもしろいんじゃないかな」とドラフト外で弟の雅之と仲良く79年に入団。“兄やん”と呼ばれる。

 開幕から12連敗と最悪のスタートを切った西武で、記念すべき球団初勝利。もちろん、これがプロ初勝利だ。最下位に終わったチームにあって、アンダースローからの浮き上がる直球を最大の武器に大きく勝ち越し、最終的には16勝で新人王に。だが、翌80年からは9勝、5勝と徐々に失速していく。そんな姿を就任前の広岡監督が見ていたのだ。

 細かい広岡の指摘を忠実に守ってフォーム改良。サイドスローほどではないが、腕も30センチほど上げた。すると、「魔法にかかったみたいに」痛みが消え、低めが打者の手元で伸びる感じ」に直球のキレが良くなる。それによりカーブやシンカーも生きるようになっていった。

 その82年は最終的には10勝にとどまったものの、リーグ4位の防御率2.83、リーグ最多の152奪三振で、西武となっての初優勝への貢献度も大だ。2試合にまたがって9イニングを完璧に抑える試合もあった。以降4年連続2ケタ勝利。広岡監督からの信頼も絶大で、「広岡理論では第1戦は情報収集ですから。あとで『お兄ちゃんで負けていたらショックが少ない』と言っていたらしい」と振り返るが、広岡監督時代の西武は3度の日本シリーズ出場で、3度とも第1戦の先発マウンドを託されている。

 83年の巨人との日本シリーズでは、「あまり日本シリーズは良くないんですが、直前に泊まり込みで巨人のビデオを何度も見てチェックし、それが初戦はハマった」。

 そして、江川と投げ合って勝利投手に。リードオフマンの松本匡史が出塁することを警戒して臨んだが、初回から塁に出られて、かえって楽になったという。3度のサヨナラで伝説となったシリーズだが、一進一退の大激戦にあって、貴重な先制の勝ち星だった。

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