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マキシ・ロドリゲス、苦渋の決断。最愛のクラブに戻るその日まで

10/12(金) 19:49配信

footballista

名優たちの“セカンドライフ”

欧州のトップリーグで輝かしい実績を残した名優たちが、新たな挑戦の場として欧州以外の地域へと旅立つケースが増えている。しかし、そのチャレンジの様子はなかなか伝わってこない。そんな彼らの、新天地での近況にスポットライトを当てる。


from URUGUAY
MAXI Rodriguez
マキシ・ロドリゲス


文 チヅル・デ・ガルシア


 「精神面での健康を考えて、ニューウェルスを去ることにした」

 昨年7月、生まれ育ったクラブを後にする決意について語った瞬間、マキシの目から大粒の涙がこぼれた。

 まだまだ欧州でプレーできるコンディションにありながらニューウェルスに復帰してから5年。最愛のクラブでそのまま引退する心積もりだったのに、出て行かざるを得ない状況に追い込まれてしまう。「ここで起きているすべてのことに疲れてしまった」とつぶやき、流れ出る涙をぬぐう姿には、心の中に波立つ悔恨の情がにじみ出ていた。

 マキシがリバプールからニューウェルスに戻って来たのは、チームが2部降格の危機に直面し、財政難に陥っていた2012年7月のこと。クラブ出身の仲間であるガブリエル・エインセ、イグナシオ・スコッコと一緒に古巣を救うため、同じくOBのヘラルド・マルティーノ監督による指揮の下でチーム再建の先頭に立った。持ち前のスキルに経験値が加わって攻撃の鍵を握る存在となっただけでなく、ピッチの外でもクラブ出身の若い選手たちにとって模範となる姿勢を示して堕ちた古豪を牽引。国内のメディアから「まるでバルセロナのよう」と絶賛されるポゼッション重視の美しいサッカーを展開したニューウェルスは降格を逃れるどころか、1部リーグ優勝の快挙を成し遂げた。

 マルティーノ監督やエインセが去ってからもニューウェルスに留まったマキシは、年齢を感じさせないフィジカルとスピードを維持し、チームのリーダーとしてプレーし続けた。

 そして、一時は完全に居場所を失ったと思われたアルゼンチン代表にも返り咲き、2013年9月に行なわれたW杯予選の対パラグアイ戦に先発メンバーとして出場。熟練されたプレーを見せた上に1ゴールを挙げ5-2の勝利に貢献した。

 ニューウェルスでもアルゼンチン代表でもトップレベルのプレーヤーであることを継続的に示した結果、当時の代表監督アレハンドロ・サベーラによって2014年のブラジルW杯メンバーに選ばれる。自身3度目となるW杯ではサベーラ監督の新しいシステムの中で控え要員に甘んじたが、準決勝のオランダ戦では延長前半に交代出場し、PK戦では最終キッカーとして冷静なシュートを決め、アルゼンチンにとって24年ぶりとなるW杯決勝進出を実現させる大役を果たした。

 その後、マルティーノ監督によって親善試合に招集されるも代表での出場機会を失い、2016年2月に受けた取材の中で自ら「2014年W杯が代表とのお別れだった」と代表引退を明かした。

 U-20時代から数えると13年間に及ぶアルゼンチン代表でのキャリアに終止符を打った後は、すべてをニューウェルスに注ぐ態勢が整ったと思われた。持ち前のリーダーシップからピッチの外でもクラブの各部署から頼られ、その存在感は日に日に増していった。

 だが、これが結果的にマキシにとっての不幸となってしまう。不甲斐ないゲーム内容が続いていた2015年7月、宿敵ロサリオ・セントラルとのクラシコを前にして、祖母の家の壁にスプレーで「勝つか、それとも銃で撃たれるか」と脅迫文を落書きされた。さらに、2カ月後には同じ場所に3発の銃弾が実際に撃ち込まれるという事件が発生。サポーターが選手を脅迫するというアルゼンチンサッカー界の闇を体験しながらもなお、マキシはプレーに専念しようと努めていた。ところが今度は、悪化する一方だった財政難から、クラブで働く職員たちがマキシに経済的な援助を請う事態に。

 サポーターによる脅迫、そしてクラブの経費を補うため私財を費やす日々に耐えかねたマキシは、ついにニューウェルスを去る決断を下した。

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最終更新:10/12(金) 19:49
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