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大ケガを経てツアー初Vの西岡良仁。励まし続けた母の万感の想い

10/12(金) 19:31配信

webスポルティーバ

 リターンを追うべく走り出したその足は、ボールがネットを越えることなく相手コートに落ちたとき、ひざから崩れ落ちるように動きを止め、勝利の……そして優勝の歓喜と安堵に浸された。

【写真】西岡良仁が大ケガのリハビリ中に知った「テニス以外の大切なこと」

 今から約1年半前の昨年3月……。彼の足は同じようにボールを追い、そしてそのときは着地時の「抜けるような」感覚とともに、ガクリとその場へと崩れた。

 前十字じん帯部分断裂――。

 それは、男子のトップテニス選手には前例のない大ケガである。再建手術とリハビリにより、戦線離脱を強いられた期間は9カ月。その失われた時間と悔しさを乗り越えて、23歳の誕生日を3日前に迎えたばかりの西岡良仁は、8日間で7つの辛勝を掴み取り、深センオープンでATPツアー初タイトルをその手に抱いた。

 表彰式のスピーチで優勝者は、いたずらっぽい笑みを振りまきながら、詰めかけた地元ファンに英語で懇願する。

「まだ今季は大会が残っているので、そこでも結果を残したいと思います。どうか、僕の名前を覚えてください。僕は、『ニシコリ』ではないので。僕の名前は、『ニシオカ』です」

 170cmの小柄な優勝者が中国で称賛を浴びるその様を、日本では「ニシオカ」家の人たちが、パソコンのモニター越しに凝視していた。

 母親のきみえさんの心をもっとも震わせたのは、トロフィーを掲げる姿以上に、優勝を決めた直後にキャップを脱ぎ、目もとを覆う息子の姿。その目もとを濡らす涙を見ながら、彼女の脳裏には長い長い動画を巻き戻すように、昨年3月からの日々が駆け巡ったという。

「前十字じん帯が切れてるんじゃないかと言われた」

 昨年3月、マイアミ・マスターズ2回戦を途中棄権した息子から、1本のLINEが送られてきた。本人は、痛みは感じないという。だからこそ、なおのこと、告げられた重症と自身の感覚が重ならない……息子が抱くその不安は、母親の胸にも迫った。

「でも、歩けるんでしょ? だったら、お母さんよりマシよ。お母さんなんて、半月板と側副じん帯も切ったんだから」

 自身もテニスの試合で前十字じん帯を切った経験のある母は、そんな言葉で異国の息子を励ました。

 西岡がケガをした直後から、コーチやトレーナー、日本テニス協会のスタッフたちは迅速に対処すべく奔走し、帰国の日取りもすぐに決まる。

 予定にはなかった、西岡家の次男の帰国の日……。それはくしくも、長男でテニスコーチの兄の靖雄が武者修行のため、スペインのバルセロナに旅立つ日であった。長男を見送ると同時に、次男を迎えるためにも空港に出向いた母は、「手間が省けて助かったけれど……こんなところまで気が合うなんて」と、ふと思う。

 良仁をよろしく……そう言い残す長男を空港で見送ったその足で、母は次男の帰りを待った。

 車椅子でゲートを抜けてきた良仁は、母の顔を見るなり聞く。

「ヤス(靖雄)はちゃんと、スペインに行った?」

 似た者兄弟ね――複雑な思いを抱きながらも、母は笑うしかなかった。

 ケガから半年ほど経ち、術後の経過やリハビリも順当に進んだ9月中旬、男子国別対抗戦の日本対ブラジル戦が大阪市で開催される。ようやく走ることができるまでに回復していた西岡は、観戦に行くことを切望した。

 チームメイトたちの、国を背負って戦う姿を……そして勝利の瞬間に生まれる歓喜の輪を見て、「ひとり取り残されるような寂しさ」を抱えた西岡は、すべての試合が終わり観客も去ったコートへと、ラケットを手にして走り出ていた。

 その姿を見て驚く母親に、息子は「お母さん、ボール打っていいって!」と笑顔で手を振る。

「はしゃぎすぎて、ケガしないようにね!」

 母親は息子に、言葉を返した。

 復帰の時が近づいたころ、母にとって何よりうれしかったのは、「やっぱりテニスが好きだ。楽しい」の言葉が、息子から聞けたことだったという。

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最終更新:10/12(金) 19:31
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