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ノーベル物理・化学賞に女性が並んだ意味

10/12(金) 12:00配信

JBpress

 前回、科学研究者の男女間格差に触れたところ、予想外の反響をいただき、朝日新聞からは取材の申し込みがあり東京大学の本郷キャンパスで時間を取りました。

【写真】米国人研究者のフランシス・アーノルド氏(女性)

 関連の話題を少し補いましょう。

 最初に、やや外れた観点ですが、どうして私が女性研究者の職位に個人的な強い関心を持つかを記したいと思います。

 私は、学徒出陣・シベリア抑留で体を壊した父が6歳で死んでから、教師の母の手ひとつで育てられました。

 父が40歳、母が39歳のときに出来た第1子でしたので、母親が60歳定年を迎えたとき、21歳の大学生でした。

 このときのやりとりは生涯忘れません。

 母が務めていたS学園というミッション・スクールは、Mというカトリックの神父が園長を務めていました。

 その酷薄さは尋常ではなく、非常勤での延長交渉に大学生だった私も同道したことがありましたが、女性就労者の悲哀を痛感させられました。

 就学中の息子がいるということで、結局1年だけ非常勤の延長がありましたが、手取りは激減、1年限りで雇止めでした。

 62歳から77歳で死ぬまで、結局母親は身近な子供に英語を教えるなどした時期があったものの、結局仕事がありませんでした。

 思い返すと、60代後半の母が、社会を知らぬまま、手書きの英語教室生徒募集などの紙を貼り歩いたりしていたのを思い出します。

 世知辛い世の中に相手にされるわけもなく、幾度も悲しい目に遭ったに違いありませんが、20代の私はそういう現実をあまり認識していませんでした。

 私は25歳前後から音楽屋として生計が立ち初め、33歳で大学に呼ばれました。それは母の65~73歳の時に相当します。

 出光音楽賞で貰った賞金の一部は、出光の思惑とは違うのでしょうが、親の白内障の手術代に充て、少しずつ面倒を見るようになりました。

 やがて70歳前後からボケはじめ、当初はおかしなことを言うものだから、またこちらも肉親ですから怒って口論になったりもしました。

 しかし、肺炎で入院、先端機器を備えた病院で脳のMR画像診断などを受け、萎縮し小梗塞で穴だらけになった母親の脳を見てからは、怒ったりできなくなりました。

 76歳で一度死にかけ、次に大きな脳梗塞で半身麻痺しかけましたが、早期の通電リハビリテーションで回復し、最期の1年は自分で自分の始末をつけながら暮らし、ある日曜の晩、自宅で突然亡くなりました。

 思い返すと、研究者ではありませんが、母親の後半生/晩年は、社会からの排除と、それに並行する脳機能の縮小で、段階的に死んでいったのが分かります。

 こうした経緯に思いがありますので、女性の社会参加全般に、半ば怒りを背景に湛えた確信があります。

 東大に来てからは、上野千鶴子、跡見順子、北川東子といった女性のトップの下でお供するなり、ナンバー2として参謀を務めたりすることが少なくありませんでした。

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最終更新:10/12(金) 12:45
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