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40代で重なる仕事転機と親の闘病 キャスター小西美穂が思いっ切り泣いた「駅までの200メートル」

10/17(水) 5:00配信

日経ウーマンオンライン(日経ウーマン)

 日テレ「news every.」でキャスターを務める小西美穂さんは、40代以降も、目の前に立ちはだかるいくつもの壁に向き合ってきた。小西さんが「暗黒時代」と名付けている時期には、仕事でうまく成果が出せずもがき苦しんでいた時期と、親の闘病が重なったという。仕事の大きな転機と大切な家族の闘病・看病。小西さんはどう両立し、どう向き合い、どう乗り越えたのか。

【関連画像】「あの時の私は、周囲に打ち明けずに仕事をするほうが良かったんです」

――女性が働き続けることが当たり前になってきた今の時代、私たちが直面している新たな問題が、仕事をしながら、親の介護や家族との死別とどう向き合い、どう乗り越えていくかというテーマです。小西さんは、「仕事が過酷だった時期に、母親の看病も重なった」とおっしゃっていました。その時のお気持ちや状況をお話しいただけますか?

 そうですね。この話は私にとってもまだ消化し切れていない部分も多く、とても私的な内容になりますが、これからその時期を迎える方に伝えられることもあるかもしれませんので、少しお話ししますね。

 肉親が病に倒れたり、急にこの世を去ったりする現実は、誰にでも起こり得ることです。しかも多くの場合、親の看病や介護、死別と正面から向き合う時期が、キャリアの踏ん張り時と重なるのではないかと思います。私の場合は、30代半ばに父を、40代半ばに母を亡くしました。

●いつでも会えると思っていた家族との突然の別れ

 実は、私は3人きょうだいの末っ子で、小さい頃からお父さん子だったんです。 ロンドン特派員の任期を終えて帰国して3カ月ほどたった2004年9月27日夜、私は総理官邸にいました。第二次小泉改造内閣が発足し、赤じゅうたんが敷かれた階段に、ずらりと閣僚が並ぶシーンを、まさにその現場で取材していたのです。なぜかその時、「父に電話しようかな」という思いが一瞬、頭をよぎったのですが、仕事中だからと、携帯電話をしまったのを覚えています。

 同じ頃、実家で小泉首相の会見をテレビで見ていた父は、「ここに美穂もいるのかなぁ」と言っていたそうです。父が突然倒れて、病院で息を引き取ったと連絡が入ったのは、その日の夜遅くのことでした。

 駆け付けた実家の洗面台には、きのうまで父が使っていたひげそりが置かれたままで、そったばかりの細かいヒゲが残っていました。ずっと一緒に過ごせると思っていたはずの父が突然亡くなるという現実を私は受け止められず、声を上げて泣きました。いつでも会えると信じていた父の急逝という経験は、以後の私の仕事の姿勢に強く影響したと思っています。

――どのような影響が?

 記者として、不慮の事故や事件、災害で、突然大切な人を失う悲しみや喪失感については、何度も取材をして、原稿で書いてきたことでした。けれど、いざ自分がその立場になると、言葉では言い表せないほど、気持ちが混乱していました。

 当事者の心の痛みは、その人にしか分からないものです。以来、私は人のつらさに寄り添う取材をするときは、それまで以上に細心の注意を払い、理解をしたような口ぶりで話すまい、と肝に銘じています。普段のコミュニケーションにおいても同じです。

 母との別れは、2014年2月。悪性リンパ腫(がんの一種)で他界しました。

 前年5月に、原因不明の発熱で地元の病院に入院したものの、なかなか病名が分からず、悪性リンパ腫と分かった時には、既にステージ4に進行していました。母はホスピスで最期を迎えましたが、病が発覚してから約9カ月間は、闘病生活が続きました。

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