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森祇晶が野村克也の采配に疑問。「なぜ秋山幸二と勝負だったのか」

10/18(木) 10:20配信

webスポルティーバ

西武×ヤクルト “伝説“となった日本シリーズの記憶(13)

【指揮官】西武・森祇晶 前編

 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

【写真】野村克也は「素直」で森祇晶は「したたか」。名参謀が見た知将の素顔

 1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、“黄金時代“を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ80年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。あの激戦を戦い抜いた、両チームの当事者たちに話を聞く連載の7人目。

 第3回のテーマ「同級生」に続く第4回のテーマは「指揮官」。今回は西武の監督を務めていた森祇晶のインタビューをお届けする。

◆あの2年間は「監督同士の戦い」だった

――現役時代、指導者時代も含めて、森さんは何度も日本シリーズに出場されています。その中で1992年、1993年、指揮官としてスワローズと戦った2年間のシリーズは、どのような印象がありますか?

「おっしゃる通り、僕はたくさんの日本シリーズを戦ってきましたが、その中でもあの2年間はまったく“毛色の違う“日本シリーズというのかな。1992年、そして1993年の日本シリーズは球史に残るシリーズだったと思う。もっと正確に言うとしたら『監督同士の戦い』というのかな。正直なところ、『野村ヤクルト』との個人的な戦いだったシリーズ。そういう見方を当時はしていましたね」

――「チーム」ではなく、「監督」として戦った日本シリーズだった?

「うん。それまでに経験したことのないシリーズでした。表面的に見れば、1992年は西武が4勝3敗、1993年はヤクルトが4勝3敗で、ともに一度ずつ日本一になっている。でも、その内容たるや、一歩間違えればどっちに転ぶかわからない場面の連続でしたね。相手がこんな手を打ってくる。だから、こちらは我慢する。次にこちらが手を打つ。しかし、相手は誘いに乗ってこない。そういう場面がいっぱいあったし、久々にチームの戦いの他に、監督同士の戦いというのを感じたシリーズでしたね」

――それは、1990年のジャイアンツ、翌1991年のカープとの日本シリーズとはまったく違う心境だったのですか?

「広島のときも、巨人のときも相手の監督を意識する戦いはしてこなかった。でも、1992年、そして1993年のヤクルト・野村(克也)監督との戦いというのは、お互いが野球を知り尽くした監督同士が戦うわけです。用兵にしても作戦にしても、お互いの読み合いなんだよ。『ここでピンチヒッターを出してくるだろう』『ここでピッチャーを代えてくるだろう』と思って“誘い“を出しても乗ってこなくてね。その逆に、相手が誘いを出してきても、僕も決して乗らなかった」

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最終更新:10/18(木) 11:38
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