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マイクロソフトを生んだ「もうひとり」の男、その早すぎる死

10/20(土) 12:11配信

WIRED.jp

マイクロソフトをビル・ゲイツとともに立ち上げた男が、10月15日に65歳で亡くなった。投資家で慈善活動家として知られ、NFLやNBAのスポーツチームのオーナーでもあったポール・アレンである。長らく闘病中だった悪性リンパ腫が再発し、治療に専念するとの意向を今月発表したばかりだった。

正当に評価されなかった天才コミック作家

ゲイツはアレンの訃報に、次のような声明を出している。「最も古く親愛なる友人、ポール・アレンの訃報に心を痛めています。ポールは真のパートナーであり友人でした。彼なくしてパーソナルコンピューティングの世界は存在しえなかったでしょう」

ゲイツとの出会いと創業

シアトル生まれのアレンは、中高一貫の名門校であるレイクサイド・スクールでビル・ゲイツと出会った。そこで学校に導入されたコンピューターに夢中になり、その世界にのめり込んでいくことになる。

その後、アレンはワシントン州立大学に、ゲイツはハーヴァード大学に進学。だが、アレンが大学を中退してプログラマーになり、ふたりが再びボストンで交流するようになったことで、ゲイツの人生も激変することになる。

ふたりは1975年にMITS(Micro Instrumentation and Telemetry Systems)が発売した世界初のパーソナルコンピューター「Altair 8800」の登場に衝撃を受け、当時主流だったプログラミング言語のひとつ「BASIC」を移植するアイデアを思いついたのだ。こうしてチームを組んだふたりは、MITSの本社があった米南西部のニューメキシコ州でソフトウェア開発会社を立ち上げた。

それが「Micro-Soft」だった。のちに社名からハイフンが外れ、Microsoft(マイクロソフト)になった企業である。75年4月4日、このときアレンは22歳、ゲイツは19歳だった。マイクロソフトの飛躍のきっかけとなったのは、80年にIBMから請け負ったパソコン向けOSの開発である。このとき、システムの基礎になる技術をシアトルの企業から買収する交渉を、アレンがとりまとめた。

こうして誕生したOSが「IBM PC DOS」である。マイクロソフトがほかのコンピューターメーカーには「MS-DOS」として供給したソフトウェアだ。IBMのパソコン(IBM PC)とその互換機が大成功を収めたことで、マイクロソフトは巨大企業へと成長していった。このMS-DOSが、のちにグラフィカル・ユーザー・インタフェース(GUI)を利用したOS「Windows(ウィンドウズ)」としてコンピューターの世界を席巻していくことになる。

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最終更新:10/20(土) 12:11
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