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使われなくなった核ミサイル発射基地、博物館に、人気のワケは

10/21(日) 10:30配信

ナショナル ジオグラフィック日本版

 ふかふかで心地よさそうな灰色の椅子。そこから冷戦時代の最前線に漂っていた緊迫感を想像するのは難しい。だが1980年代、イボン・モリス氏は実際に、ミサイル戦闘部隊長としてこの椅子に座り、命令が下るときを待っていた。

ギャラリー:使われなくなった核ミサイル発射基地 写真16点

 ここは米国アリゾナ州ツーソンにあるタイタン・ミサイル博物館。今はここの館長を務めるモリス氏は、観光客を相手に、最後まで実行に移すことのなかったシミュレーションを演じて見せる。受け取った重大指令の正当性を確認し、保管箱から発射コードを取り出し、副隊長と2人同時に鍵を回す。すると、7階建てビルに匹敵する高さの大陸間弾道ミサイル「タイタンII」が巨大な核弾頭を乗せたまま世界へ向けて発射されるのだ。

 ここでモリス氏は向き直り、見学者に告げる。

 残念なことになった。核抑止力による平和維持の使命が成功していれば、ミサイル発射は防げたはずだ、と。

 過去70年間で世界は何度か実際に核戦争の危機に直面してきた。その絶対的で偏在的な核の脅威が、常に人々の心に付きまとっていた時期もあった。ここしばらくは小康状態が続いていたものの、世界情勢は再び緊張し、今は使われなくなった核施設が観光客に公開されたこともあって、再び関心が高まっている。

地下の最前線

 地上からは、ミサイル本体はほとんど見えない。アンテナに有刺鉄線のフェンス、小さな発射ダクトのドアがあるだけだ。

「遠くからだと、目立つような特徴はありません」と語るのは、サウスダコタ州にあるミニットマンミサイル国立史跡の館長エリック・レナード氏だ。だが、近寄ってみると、「殺傷能力のある武器使用許可区域」と書かれた標識が目に入る。「日常と非日常が交わる場所」と、レナード氏は言う。

 1960年代、米国空軍は1000基のミニットマンミサイルを米中西部のグレートプレーンズと呼ばれる地帯に配備した。各ミサイルには、1メガトンをわずかに上回る核弾頭が積まれていた。主に南西部に配備されたタイタンミサイルの数は54基のみだったが、こちらは9メガトンの核弾頭を積んでいた。これひとつで、ハワイのマウイ島よりも広い範囲を一瞬にして消滅させることができる。

「その目的は、ひとつの町を地球上から消し去ることでした」と、レナード氏。「実際に、タイタンにはそれだけの能力があります。けれど、核兵器のもうひとつの不条理な側面は、強力な武器を作るほど、それを持ち、使う用意があるという事実そのものが敵国へ対する抑止力となり、相手は攻撃を仕掛けてこないということです」

 片方が核を使えば、自身も核の報復を受けるというこの「相互確証破壊」の戦略は、もはや核武装化した世界のレトリックとして広く定着してしまっている。「それによって敵国と対等に向き合い、お互い戦争を起こさないと確約できるようになったのです」。モリス氏は、1980年から1984年まで、アリゾナ州ツーソン付近にある18のタイタン格納庫で、24時間の警戒任務にあたっていた。

 いつ何時発射命令を受けても数分以内にミサイルを発射できるよう、部隊は24時間交代で発射管制室の警戒任務についた。それは、儀式と化した単調な繰り返し業務と、常に分泌されるアドレナリン、そして不気味なまでの生活感がぎこちなくバランスを取りあう不思議な時間だった。

 任務交代の際には、その日直面している脅威に関する極秘報告を受け、本人確認を何度も行ってから室内に入ると、発射コードが収められている保管箱に自分専用の南京錠をかける。勤務中は長時間かけてミサイルの全ての計測器、ライト、ポンプ、ファン、ベルトを隅から隅まで入念に点検する。

 タイタン基地でもミニットマン基地でも、管制室に単独で立ち入ることは決して許されない。核兵器の破壊力はあまりに強大で、その責任はあまりに重すぎるため、たったひとりの将校の手に委ねるわけにはいかない。隊長と副隊長は、常に行動を共にしなければならなかった。

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