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野村克也のコンプレックス炸裂。「巨人出身の森祇晶に負けたくない」

10/23(火) 8:20配信

webスポルティーバ

西武×ヤクルト “伝説“となった日本シリーズの記憶(15)

【指揮官】ヤクルト・野村克也 前編

 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

「史上最高の日本シリーズ」は森祇晶と野村克也の「不動」の戦いだった

 1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、“黄金時代“を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ80年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。あの激戦を戦い抜いた、両チームの当事者たちに話を聞く連載の8人目。

 第4回のテーマは「指揮官」。前回の西武・森祇晶に続き、今回はヤクルト・野村克也のインタビューをお届けする。

◆「森野球」とは、オーソドックスで堅実な「真面目野球」

――現在、1992年、1993年の「ヤクルト対西武」の日本シリーズについて、みなさんにお話を伺っています。

野村 ......全然覚えてないよ(笑)。ただ、イヤだったことだけはよく覚えている。

――「イヤだった」というのは、森祇晶監督率いるライオンズの野球がイヤだったということですか?

野村 うん。あのときは「キャッチャー対決」が話題になったでしょう。森野球とは即ち、川上(哲治)野球。巨人の野球、川上さんの教えをまともに受けている野球だから。

――対する野村さんは、南海ホークス時代の鶴岡一人(かずんど)監督の影響を受けているわけではないですよね?

野村 鶴岡野球とは正反対。反面教師だよ。ああいう軍隊野球は絶対にイヤ。「連帯責任」だとか、普段から軍隊用語が炸裂しているんだもん。エラーしたり、ミスしたりするとすぐに「営倉に入れるぞ」と言われるんだけど、「営倉」なんてピンと来ない。鶴岡さん自身が部隊長だったか、軍隊で偉かったから、軍隊をそのまま野球に持ち込んだんだから。

―― 一方の川上さんは「軍隊野球」ではなかったんですか?

野村 そうだと思いますよ。オレもいろんな監督と対戦したけど、キャッチャーを重要視する監督はすごくイヤだった。野球をよくわかっているから。そういう意味では、巨人の水原(茂)さん、川上さんはキャッチャーの大切さをよく理解していましたよ。

――野村さんの考える「川上野球」とは、具体的にはどのようなものですか?

野村 うーん、何て言ったらいいんだろう? ひと言で言えば「真面目野球」なのか、とにかくクソ真面目な野球ですよ。オーソドックスでセオリー通りで、個々の選手に役割を与えてそれを忠実に実行させて......。森なんかは、まさにそんな野球だよね。

――当時、「キャッチャー対決」「知将対決」と言われたのと同時に、互いに手の内を知り尽くした「キツネとタヌキの化かし合い」だとか、「似た者同士の対決」などと喧伝されていましたね。

野村 いや、2人は全然タイプが違いますよ。彼は「慎重派」で、オレは「いい加減派」だから(笑)。彼の場合は、絶対に負ける戦いはしない。だから監督を引き受けるときでも、恥をかかないように戦力を見極めてから引き受ける。オレは適当だから、ヤクルト、阪神、楽天と、みんな弱いチームを引き受けた。

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