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プーチンが密かに狙う北方領土「1島返還」

10/23(火) 6:27配信

新潮社 フォーサイト

 

 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は10月18日、世界のロシア専門家を集めて毎年行うバルダイ会議で、北方領土問題について、前提条件なしに年内に日露平和条約を締結するとの9月の提案に対し、安倍晋三首相が直後の非公式協議で、「日本はそのようなアプローチは容認できない。先に領土問題を解決すべきだ」と述べて、提案を拒否したことを明らかにした。大統領は「それでもいいが、われわれは70年間足踏みをしている。出口が見えてこない」と述べ、日本の立場に不満を示した。


■島の質問「面白くない」

 大統領は発言前、日本人からの質問と知ると、「島の質問か。面白くないな」と軽くいなし、「日本がたえず提起する領土問題は、われわれは存在しないとみなしているが、にもかかわらず、対話を拒否していない」と述べ、領土問題は存在しないとの認識を示した。また、「われわれは安倍首相の要請を受け、元島民の墓参要件を緩和するなど、信頼に必要な条件を作り出してきた。しかし、日本はわれわれに制裁を科している。シリアやクリミアはどこにあるのか。なぜ制裁を科したのか。それが信頼を高めることになるのか。それでも、われわれは対話を継続する用意があり、接触を避けていない」とクリミア併合後に日本が欧米に追随して発動した制裁を改めて批判した。

 さらに、「われわれは中国と40年間領土問題を交渉し、先に善隣友好協力条約を締結した後、領土問題を決着した。友好関係を構築し、領土問題を解決する条件を整え、妥協的な解決策を見出した。安倍首相にも、先に平和条約を結んでも領土を棚上げするわけではないことを話した。中国との関係を前例にしようというのが私の提案だった」と述べ、現状では袋小路が続くとの認識を示した。

 安倍首相は「次の首脳会談が重要になる」とし、11、12月の国際会議で2度行う予定の日露首脳会談に意欲を見せるが、大統領の後ろ向き発言を見る限り、進展はありそうもない。


■米中貿易戦争で中国寄り

 プーチン大統領は米中貿易戦争に関する質問にも答え、「状況を悪化させるような事態に過敏に反応する必要はないが、国益を守ることは疑いなく重要だ。中国とロシアは常にそうしてきた」と述べ、中露の一体感を強調。「(米中の)貿易戦争も(ロシアへの)制裁も、米国の内政と結びついている。中間選挙や大統領選挙を前に、経済の方向性を維持する必要があるということだ。短・中期的には一定の効果があっても、長期的には否定的な影響が出てくる。世界経済に打撃を与え、それが米国を直撃するだろう」とし、米中貿易戦争はドナルド・トランプ政権の内政的要請との見方を示した。

 また、「中国人には忍耐力がある。中国の経済力なら、貿易戦争に耐えることができる。中国の経済規模は人口を勘案すれば米国をしのぐ勢いだ。経済政策を修正したとはいえ、成長率は依然高い。世界も世界経済もいずれ変化していく」などと語った。米中貿易戦争で中国に加担する発言であり、近年の中国傾斜外交を見せ付けた。本音では、ロシアは米中が貿易戦争でともに消耗することを望んでいるかもしれない。

 中露の蜜月は、9月にロシア極東一帯で行われた大型軍事演習「ボストーク2018」に中国軍約3200人が参加したことにも見られた。中露の合同演習は陸海でこれまで計15回程度行われており、珍しくはないが、米国を仮想敵に仕立てた過去最大規模のロシア軍の演習に中国軍が参加したことはやはり意味がある。ロシアの安保政策を担うニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記は、「ロシアは中国のような非欧米の新興大国と同盟を構築していく必要がある」と述べており、政権内で中露同盟論が議論されている模様だ。米国の対中、対露政策が、中露をますます接近させている。

 日本人の質問に「面白くない」と投げやりだった大統領は、中国人の質問には、「尊敬する友人であり仲間」と敬意を表しており、中国志向、日本離れを態度で示していた。


■2島返還なら「1本勝ち」

「前提条件なしに年内に平和条約を」といった最近の大統領の対日発言を見ると、領土問題でのロシアの落としどころは歯舞諸島だけの「1島返還」ではないかと思えてくる。

 国後、択捉について大統領は「1956年の日ソ共同宣言にはひと言も書かれていない」などと帰属協議を一貫して拒否している。歯舞、色丹の引き渡しをうたった56年宣言についても、「2島の主権がどちらに属するかなど引き渡し条件は何も書かれていない」とし、無条件で返すわけではないと強調している。

 外交筋によれば、2015年11月のトルコでの首脳会談で、安倍首相が56年宣言が2島引き渡しを明記していることを指摘すると、プーチン大統領は「それでは日本の1本勝ちじゃないか」と反発したという。大統領の落としどころは柔道用語の「引き分け」であり、2島が交渉対象になる場合、「引き分け」とは歯舞、色丹の分割となる。

 色丹島にはロシア人が3000人近く居住し、千島社会経済発展計画に沿ってインフラ整備も強化している。返還の場合、補償や手続きが面倒なのに対し、歯舞には国境警備隊が駐留するだけで、引き渡しは容易だ。先に平和条約を結ぶと、56年宣言に沿って2島引き渡し交渉が行われるが、2島が丸ごと戻ってくるわけではなさそうだ。歯舞だけなら4島全体の面積の2%にすぎず、日本の外交は完敗となってしまう。


■千載一遇のチャンスをふいに

 愛国主義や大国主義の風潮に乗るロシアの日本専門家の大半はプーチン提案に好意的だが、唯一批判的だったのが、ボリス・エリツィン政権初期の外務次官として対日外交を担当したゲオルギー・クナーゼ氏だった。

 クナーゼ氏はラジオ局『モスクワのこだま』で、「前提条件なしの平和条約締結」提案について、「全く実現の見込みはない。一種のトロール網のようなものだ。プーチン自身も期待はしていないだろう。日本にとっては、ロシアが問題の解決を望んでいないことを新たに示しただけだ。安倍にとって、この提案を受け入れることは政治的自殺行為になる」とコメントした。

 同氏はウクライナ紙とのインタビューでは、「これほど侮辱的な提案は、ソ連のレオニード・ブレジネフ時代ですら日本に行わなかった」と酷評した。クナーゼ氏は在任中、早期平和条約締結というエリツィン路線に沿って、戦勝国の論理を否定する新たな対日外交を推進した。「法と正義」による領土問題解決を主張し、日本の立場も理解していただけに、過去の日露交渉の歩みを否定するようなプーチン提案は衝撃だったようだ。

 クナーゼ氏と言えば、ソ連崩壊直後の1992年3月、国後、択捉の帰属協議と歯舞、色丹の返還協議を同時並行で進め、合意したら平和条約を締結するとの秘密提案を日本側に打診したことがある。しかし、4島返還を当然視した日本政府・外務省はクナーゼ提案を時間稼ぎとみなして無視した。クナーゼ提案を基に本格交渉を行っていれば、当時の日露の圧倒的な国力格差から見て、歯舞、色丹は確実に日本領となり、国後、択捉は結局は分割され、「3島プラスアルファ」のような解決策が有力だっただろう。

 2001年のイルクーツク会談では、今度は森喜朗首相がクナーゼ提案と瓜二つの並行協議案をプーチン大統領に提案したが、ロシアが無視した。

 1992年のクナーゼ提案は、一握りの外務省幹部が拒否を決め、官邸にもほとんど報告していなかったと言われる。ソ連崩壊から27年も経て、北方領土問題がますます後退している責任は、92年に千載一遇の機会をみすみす座視した当時の外務省幹部にある。失敗を繰り返さないためにも、外務省は文書公開を通じて当時の責任の所在を明確にしておくべきだろう。(名越 健郎)

 

拓殖大学海外事情研究所教授 名越健郎

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