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映画『鈴木家の嘘』で鮮烈デビュー、野尻克己監督にインタビュー

11/9(金) 15:03配信

nippon.com

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長く引きこもっていた長男の突然の死。残された家族はどうなるか。そんな重いテーマをユーモアたっぷりに描いた『鈴木家の嘘』。日本映画界に旋風を巻き起こしそうな予感を抱かせる野尻克己監督に話を聞いた。

世の中に映画監督を志す人は数多くいるだろうが、実際に劇場用映画を監督できる人はそのうちのほんの一握りだ。岸部一徳、原日出子、加瀬亮、大森南朋といった名優たちがキャストに名を連ねる『鈴木家の嘘』が、一人の監督のデビュー作だと聞いて、まず驚く。そして実際に作品を見て、「なるほど」と思う。豪華キャストを集められるだけの見事な脚本だったのだと。それからあらためて驚く。デビュー作にしてこれほど完成度の高い作品が実現するとは…。

44歳で監督デビューを果たすまで

その野尻克己監督に「デビュー」までの道のりを聞いた。高校生までは普通に映画やドラマが好きな少年だったという。ただ、通っていた高校が少し独特だったのは、3学年全クラスが劇を作って上演するという学校行事があったことだ。3年生のときに初めて脚本を書き、演出を担当して、みんなで「作る」喜びを知り、大学は映像学科を選んだ。自主映画の製作にのめり込み、映画を仕事にしようと思うに至る。

「映画業界のことは何も知らず、助監督をやれば監督になれるのかなと思って。映画のエンドロールを見て制作プロダクションの名前をメモしては、番号案内で調べて片っ端から電話しました。助監督の仕事ないですかって」

これが実って制作プロダクションに就職、最初は制作部で弁当やロケバスの手配などで走り回った。1年ほどたったある日、演出部から「助監督がいない」との募集を受けて名乗り出た。

「麻雀モノのVシネマをやらないかと言われて。あの頃はパチンコや麻雀をテーマにした作品、多かったですからねえ。自分では麻雀なんてやったことなかったけど、何でもやりますって言って」

当時、1990年代末から2000年代初頭にかけては、邦画の冬の時代。今でこそ年間に制作される劇場用映画は600本を超えるが、その頃は300本を割っていたという。その代わりに盛んだったのが、ビデオ発売用に低予算で制作される「Vシネマ」だった。2年ほど助監督を務めたのち、26歳でVシネマの監督になる。

「もちろんずっと、いつかは劇場用映画を自分で撮りたいという気ではいたので、空いた日には脚本を書いていました。いろいろなプロデューサーに『脚本を書かなければ監督にはなれない』と繰り返し聞かされていたので、それを信じて書きましたね」

やがて劇場用映画からも声がかかり、数々の作品で助監督として現場での経験を積んでいくのだが、同世代が次々と20代で監督デビューを果たす中、なかなか自分のところにオファーはめぐってこない。

「何度か脚本を持ち込んで見てもらったことはあるんですけど、浮わついてるとか、テーマがスカスカだと言われることもあった。Vシネマはそこまで要求が高くないですからね。ちょっと面白ければすぐ撮れちゃう感じで。劇場用はお金もかかるし、プロデューサーが厳しい。何か一つ魂のようなものが見えないと、なかなか実現しない。もちろん自分では魂を込めているつもりでしたよ。僕は映画をエンターテインメントだと思っていて、極端に言えば100人が見たら100人が面白いと言うような映画を作りたい。でもそれを欲張りすぎると、魂が抜けてくる場合があるんですね。今になって思うと、撮る根拠とか覚悟が見えなかったのかな」

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最終更新:11/9(金) 15:03
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