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【連載 名力士たちの『開眼』】関脇・富士櫻栄守 編 失意を逆にエネルギーとした「突貫小僧」――[その1]

11/16(金) 17:21配信

ベースボール・マガジン社WEB

 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

天狗の鼻をへし折られた「お山の大将」

 あのときのことを思うと、いつも富士櫻(初土俵時の四股名は本名の中澤、3場所目に富士櫻と改名。ここでは富士櫻に統一)は、苦いものがこみ上げてきて口中に広がった。それほどまんまとしてやられたのだ。

 それは富士櫻が甲府市の西中学を卒業する直前のことだった。同じ年齢で、のちにプロ野球界入りし、巨人のエースになった同じ甲府市内の南中学の堀内が、生意気で、小天狗とか、悪童とか、と言われたように、富士櫻も怖いもの知らず。体も身長175センチ、体重77キロと周りの同級生に比べると明らかにひと回り大きく、

「オレは大男なんだ」

 と、頭から信じて疑わない少年だった。このため、同じ山梨県出身の幕内力士、富士錦(6代高砂親方、最高位は小結、昭和39年名古屋場所に平幕優勝している)が、人づてに富士櫻のことを聞いて、

「どうだ、力士にならないか」

 とスカウトに現れる前から、もうこの甲府盆地から打って出る気十分。こんな富士櫻のはやる気持ちを見透かすしたように、わざわざ羽織、袴の正装でやってきていた富士錦は、

「オレだって、このくらいの身長しかないんだから。君なら大丈夫。絶対やれるよ。ホラッ、見てごらん」

 と富士櫻の横に立った。なるほど、そっと横目で見てみると、確かに自分より小さいくらいだ。

「なあんだ、力士といったって、ホントにたいしたこと、ないんだ。ようし、やってみるか」

 この背くらべが富士櫻の心をさらに大きく揺り動かした。このとき、富士櫻は、まさかこの富士錦が袴の中でヒザを曲げていたとは、思いもよらなかったのである。

 入門は昭和38年(1963)春場所。部屋の入り口を潜ってすぐ、富士櫻は郷土の先輩にうまくハメられたことに気付いた。周りを見渡すと、「大きい」と思っていた自分が、実は一番小さいことが分かったからだ。しかし、富士錦を捕まえて文句を言ってみても、すでに時遅し。船は港を離れたあとだった。

 その上、腕力も弱ければ、器用でもない。故郷ではお山の大将だった富士櫻は、あっという間に天狗の鼻をへし折られ、自分にはなんの特技もない。八百屋の店先に並べられている一山いくらの野菜か、果物なのに気付いた。

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