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野球部員を殴る蹴る「暴行」と星野監督の「鉄拳」の違いとは

11/16(金) 6:40配信

デイリー新潮

監督のハイキック

 名古屋市内にある高校の野球部の監督が選手らに暴行を働いていたことが発覚し、大きな問題となっている。スマホの使用を巡り、腹を立ててのことだというが、第三者が撮影した映像に、あまりにクリアに監督のハイキックやパンチが映っていたこともあり、騒ぎは大きくなっている。

「熱血指導」は許されても、殴る蹴るはご法度なのは今や当然のことながら、ほんの少し前まで野球界でも「鉄拳制裁」が珍しくなかった、というのもまた野球ファンなら誰でも知っていることだろう。

 代表例は、故・星野仙一氏だ。星野氏は言うまでもなく中日ドラゴンズの大エースであり、監督として中日の他、阪神タイガースでもリーグ優勝、楽天イーグルスでは日本シリーズも制覇した名将。ただし、一方でその鉄拳制裁は有名だった。ノンフィクション作家、黒井克行氏の著書『指導者の条件』から、その凄まじいエピソードを見てみよう(以下、引用は同書より)

鉄拳制裁の時代

 1986年、39歳の若さで星野氏は中日の監督に就任する。「燃える男」として巨人に向けていたファイティングポーズは、自軍の選手にも向けられ、鉄拳制裁で管理するようになる。

「逃げるピッチングでもしようものならばピッチャーは容赦されなかった。同様にキャッチャーにも鉄拳が飛び交う。後年、数々のピッチャーの最年長記録を打ち立てた山本昌もその一人だ。不甲斐ないピッチングでベンチに戻るや殴打の嵐を浴びて顔面を腫らし、『この状態で客前には出せぬ』と降板させられた。キャッチャー中村武志はマスクを被ればわからないとそのまま試合に出たが、殴られて変形した顔面をマスクに押し込むのが大変だったという」

 黒井氏はこうした鉄拳制裁を、このように分析する。

「星野は好き好んで手を上げるわけではない。それは期待と情の裏返しでもあり、結果、選手たちは拳に対してプレーで応えようとした。

 星野の怒りの矛先は失敗に対してではない。たとえ打たれてもアウトになってもやるべきことをやり、真正面からぶつかっていった結果ならばよしとした。理不尽ではなく、すべてに理由があった」

 さらに、感情を露わにするパフォーマンスには星野氏なりの計算もあり、実際には並外れた気配りの人でもあった、という。

「たとえば、監督に初就任するや選手や球団関係者、その夫人にいたるまで誕生日を調べ上げ、花束とバースデーカードを用意した。受け取った夫人は『監督さんのために頑張れ』と亭主の尻を叩く。ある裏方さんの長男の中学入学時には万年筆とボールペンのセットが届けられた。裏方さんは、星野に忠誠を誓った。

 88年にリーグ優勝をした時には、関係者の全家族を招いて感謝のホームパーティを開き、報奨としては選手ほど恵まれない裏方さん全員にゴルフセットをプレゼントしている」

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最終更新:11/16(金) 6:40
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