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新薬開発中の帝人社長、体重2日に1kg減り「死を覚悟」 原因不明の病が変えた人生

11/19(月) 7:10配信

NIKKEI STYLE

■1983年に帝人入社、中央研究所に配属される。

 ※帝人社長・鈴木純氏の「私の課長時代(前編)」

当時はバイオテクノロジーが注目を集め、関心がありました。研究を続けるならば、大学に残るよりも資金のある民間企業の方がいいと思い、帝人に勤めていた先輩に相談し、入社を決めました。

■新薬開発で悔しい思いもした。

中央研究所では生物工学に携わりました。免疫系に関わる生体物質が私の課題でした。入社10年間で、今花開いている技術はほとんどかじったと思います。

腫瘍の抗体について研究していると、炎症系疾患と関係があるのではないかということがわかりました。ところが関連性を調べているうち、他社に同じ抗体を用いた治療薬の開発で先を越されてしまいました。

社内を説得するために事例を集めるより、まず新薬を造って効果があるかを試しておくべきでした。研究チームの先輩らとほぞをかむ思いをしました。

新薬開発は失敗の連続です。当社の医薬品の歴史をひもといても開発できた新薬は数製品たらず。まぐれはほとんどなく、きちんと準備して実験を繰り返すしかありません。実験を重ねるほど、自分たちは生物のごく一部分しか理解できていないことを痛感し、謙虚な気持ちになりました。

■92年、原因不明の病に侵され死を意識。

夏ごろのことです。手が震えて高熱が続き、汗が止まらなくなりました。体重は2日に1キロのペースで減ってしまい70キロ台だったのが、あっという間に50キロ台に。このまま死ぬのかと思いながら、病院で診察してもらったところ甲状腺の異常がわかりました。

投薬で症状がおさまりましたが、闘病中は震える腕を押さえ込んで実験をしました。周囲の人が哀れみの目で見る中、普段通りに接してくれる人にありがたさを感じました。気を使われるとこちらも気を使います。健常者には当たり前のことが、いざ自分が患者になると違う世界があることに気づきました。医薬の研究を続けていくうえでとても大事な経験でした。

闘病中に英国の研究所への赴任が決まりました。渡英前に1年間、大阪大学の研究生になりました。あえて知り合いがいない大阪に飛び込みました。それまでと全然違う発想に触れることができ、大成功でした。

【あのころ】 1990年代は武田薬品工業の消化性潰瘍薬「タケプロン」など大型の新薬が相次いだ。帝人は91年、世界で40年ぶりの痛風治療薬「フェブリク」の起点となる「フェブキソスタット」の合成に成功。フェブリクは現在でも医薬品事業の大きな柱となっている。
[日本経済新聞朝刊 2018年10月30日付]

NIKKEI STYLE

最終更新:11/19(月) 8:22
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