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アニソンの帝王・水木一郎「ゼーット」を語尾につけた理由

11/22(木) 16:00配信

SmartFLASH

 アニメ・ヒーローソングの先駆者で、国内外から「ANIKI/アニキ」の愛称で親しまれる水木一郎(70)がデビュー50周年を迎えた。歌謡曲のホープから、「アニソンの帝王」へと変貌を遂げた経緯を訊いた。

「ヒーローソングを歌っていると、景色が変わらないんです。僕のお客さんは親子三世代で来る。つねに新しい子供たちが加わるから、自分も、声も老けられない。

 アニソンデビューした当時、後楽園ゆうえんちで『仮面ライダー』を歌ったときから変わらないんです」

 そんな水木の実家には、幼いころから音楽があった。

「僕の生まれる前に親父がレコード屋をやっていたおかげで、家にはおふくろの好きなスタンダード・ジャズがいつも流れていた。

 フランク・シナトラなどを子守唄代わりに聴いて育って、5歳のころには『歌手になる』って宣言していたんです(笑)。庭の木に登っては、聞きかじりのでたらめな英語で歌っていました」

 16歳のときに、当時歌手の登竜門といわれたジャズ喫茶「ラ・セーヌ」のオーディションでグランプリを獲得。数々のジャズ喫茶のステージで経験を積んだあと、作曲家・ 和田香苗氏に師事し、1968年に20歳でプロデビューを果たす。

 今でこそ個性の塊のような水木だが、当時は歌手として無個性だったという。

「デビューしてまもなく、札幌で新人歌手のサイン会があった。錦野旦くんや、野村将希くんもいたんですが、僕のところだけ誰も並ばない。

 並んでくれた人に『あなたには個性がない』って言われたのがショックでしたね……」

 歌謡曲歌手として12曲をレコーディングしたが、ブレイクの兆しが見えない。

 しかし、1971年に転機が訪れる。アニソン専門の男性歌手を探していたディレクターに「ジャケットに顔は出ないけどいいか?」と依頼されたのが、自身初のアニソン、『原始少年リュウ』の主題歌だった。

「当時のアニソン界は、なり手がいない “空き家” 状態。僕の前は堀江美都子ぐらいで、アニソン専門の男性歌手はいなかった。歌謡曲の歌手たちは、『漫画の歌手』のレッテルを恐れて、みんなアニソンを敬遠していたんです。

 でも、もともと映画主題歌が好きだった僕には、『アニメであろうと、主題歌には変わりない』と思えたんですね」

『原始少年リュウ』以降、『超人バロム・1』『変身忍者 嵐』など次々と主題歌のレコーディングが舞い込み、次第に水木は第一人者の地位を確立していく。

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最終更新:11/22(木) 19:09
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