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元NHKアナ、50代で福祉施設に転身 内多勝康さんの奮闘記「『医療的ケア』の必要な子どもたち」

12/7(金) 11:10配信

好書好日

50歳すぎて厳しく怒られるのって、しんどい

 NHKのアナウンサーという華やかな職を50代で離れ、医療的なケアを必要とする子供達とその家族をサポートする職へと転身した内多勝康さん(55)。新天地での奮闘と問題提起を著書「『医療的ケア』の必要な子どもたち」(ミネルヴァ書房)にまとめた。目指すのは、医療と福祉とが融合した新たな支援制度の構築という。

――2016年4月、医療的ケア児の短期入所施設「もみじの家」が東京都世田谷区の国立成育医療研究センター(以下、成育)内に開設したタイミングで、NHKを退職し、この施設のハウスマネージャーに就任なさいました。有働由美子アナウンサーのようにフリーとなって民放に出演するタイプの転職とは違う、まったく異なる業種への転身には驚きました。

 僕自身もこんな人生が待っているとは思いませんでした。福祉に関係する取材や番組制作を続けた中で、人脈が広がっていたので、そういう意味では、いま「もみじの家」で働いていることは一本「筋」は通っているんです。でも、転職まで行くとは思いませんでした。

 「もみじの家」は、病院から退院した後も医療的ケアを必要とする子供たちとその家族が利用できる短期入所施設です。医療の発達によって、命を救える子供が増える一方で、退院後は在宅で人工呼吸や痰の吸引などのケアを続けながら生きています。

 こうした「医療的ケア児」は現在、1万8千人以上いると推計されます。中には24時間目が離せない子や、体調が悪くなると5分おきに痰の吸引が必要な子もいます。それらを担っているのは家族、多くはお母さん方ですが、「もみじの家」ではいっときでもケアを引き受けることで家族の緊張を解き、子供たちの健やかな成長をサポートすることを目指しています。

――著書によれば、先天的な染色体異常のため低体重や重い心臓疾患の子や、「低酸素性虚血性脳症」といった症状の子が「もみじの家」を利用し、看護師や保育士、介護福祉士が常駐して24時間体制でケアを続けている、とあります。一方で、ホテルのようなツインベッドのある「家族室」など、親子でリラックスできる空間も兼ね備えています。

 イギリスに「ヘレン・ダグラス・ハウス」という、病の子供達が安心して楽しく過ごすための施設があるのですが、「もみじ」の設立準備段階でスタッフがこの施設に視察に行きました。そしてこの施設では、イギリス在住の篤志家で喜谷昌代さんという方がボランティア活動をなさっていて、この方の存在が「もみじの家」誕生に大きく関わっています。喜谷さんがイギリスの障害のある子供達と日本の子供達との交流事業を続ける中で、成育との情報交換が始まりました。

 成育としても、一生懸命に子供達の命を救ってきたけれども、退院した後も在宅生活を支えることはできないかという議論があり、喜谷さんと思いが一致したんです。「もみじ」は喜谷さんと関係の深い財団と、日本財団からの出資で誕生しました。

――内多さんの「ハウスマネージャー」とはどんなポストですか?著書には就任して間もなく「劣等感という冷水を浴び」、一ヶ月過ぎた頃には「リングから降りたい」と転職を後悔していたと。

 僕自身の仕事は、事業計画を立て、運営の方針を決めることです。ですが、就任1年目は何から何まで初めてで五里霧中でした。「事業計画ってなんだ?」ということからでしたから。NHKにいた頃はワードで事足りていたので、エクセルの使い方もろくに分かりませんでしたし(笑)。ですから最初の頃は怒られてばっかりで。僕が作った運営委員会のプレゼン資料なんてほとんど役に立たなくて。50歳をすぎて厳しく怒られるのって、しんどいですよね。

――分析や批評が本業のメディアの人間は、どこまでいっても批判する側で傍観者ですが、永遠に「当事者」たりえないもどかしさもあります。内多さんの現在の仕事は「当事者」そのものですよね。

 当事者たり得ない、という感覚はよくわかります。福祉の現場は、人々の幸せに直接、貢献していますから。それは確かに輝いて見えますよね。実際、僕も福祉の取材を通じてそう感じていました。

――NHK時代も、アナウンサーでありながら「福祉」をライフワークに取材を続けていた、とありますが。

 入局前はディレクター志望だったんですが、採用時に「アナウンサーで入ってもすぐディレクターに変われるよ」と口説かれまして(笑)。でも確かに当時は「アナウンサーもジャーナリストとしての感覚を磨け」と言われていました。だから時間のあるときは企画提案して、取材に出てましたね。

――初任地の高松で早速、「福祉タクシー」が財政難で廃止されると聞き、利用者に取材して福祉タクシーの重要性についてリポートし、存続への流れを作ったと。

 ええそうなんです。報道には、その報道によって社会が動いていく手応えや充実感が確かにありますよね。のちに川崎市の自閉症の男性についてのドキュメンタリー番組を作ったときも、昨今の発達障害をめぐる報道のように、彼らが障害を「直す」のではなく、社会の側がどう環境を整えるのかという問題提起をできたと感じました。

――医療的ケア児との出会いは、新生児の救命率が向上した反面、在宅で手厚い医療的ケアを必要とする子供たちが増えていることを報じた2013年の「クローズアップ現代」だったんですね。

 当時は「クロ現」の代行キャスターだったんです。メインキャスターの国谷裕子さんが海外に取材に出る時などに「登板」していました。

 あの段階では、「医療的ケア児」への知識や関心が先にあったのではなく、「新しい動きをいち早く報じたい」という思いが強かったんです。福祉の関係者と情報交換を続ける中で、愛知の社会福祉法人の理事長さんが「医療的なケアを必要とする子供達のために、医療者とチームを組んで新たな動きを起こしたい」という話を聞かせてくれたので、番組を企画しました。

 実は名古屋での単身赴任中の2011年、社会福祉士の資格を取るべく通信制の学校に入りまして、13年に資格を取得しました。その時の「実習」を受け入れてくれたのがその社会福祉法人さんでした。今思えばこの資格が重要でした。有資格者ばかりの職場で「元アナウンサー」だけではキツかった。

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最終更新:12/7(金) 12:01
好書好日

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