ここから本文です

フレディ・マーキュリーの生涯の恋人、メアリー・オースティン。

2018/12/20(木) 16:41配信

フィガロジャポン

婚約解消後も信頼し合ったデュオ。

フレディが自らのセクシュアリティについてメアリーにカミングアウトした後は、二度とふたりの間で結婚が話題になることはなかった。

その2年前からすでに、パートナーの交友関係に疑問を抱き始めていたメアリーだったが、彼がコカイン・パーティや乱行パーティに頻繁に足を運んでいることを知ってしまう。「僕はバイセクシャルだと思う」と本人が認めたのは、1976年のこと。「違うわ、フレディ。あなたはゲイよ」――イギリスの日刊紙に彼女が語ったところによると、メアリーはフレディにそう答えたと言う。その後、ふたりはきっぱりと婚約を解消した。しかし、ふたりの間に絆が絶たれることはなかった。

6年続いた交際以降も、メアリーは相談役兼個人秘書としてフレディをそばで支え続けることになる。「Love of My Life」、つまり“生涯の愛”という曲が誕生するきっかけになったのも、彼を支え続けたのも彼女だった。フレディ自身、ことあるごとに元婚約者への賛辞を口にし、彼女に30万ポンド(現在のレートで約4300万円)のアパートをプレゼントしてもいる。

「メアリーは僕の唯一の女友達だ。他に女友達はいらない」と彼は『ニューヨーク・ポスト』紙に告白している。「僕にとって彼女は内縁の妻なんだ。結婚しているのと変わらない。僕たちはお互いを信じているし、それで十分だ。メアリーに惚れたように、男に惚れることはできないと思う」

『ミラー』紙によれば、ある時メアリーが彼の子どもが欲しいと言うと、フレディはこう答えたらしい。「僕は君のことをずっと愛している。でも君とセックスはできない。もう一匹猫を飼うほうがいいな」。フレディとアイルランド出身の美容師ジム・ハットンとの交際はまだ非公式のものだったが、その頃すでに始まっていた。だがそんなことは問題ではなく、「メアリーと自分は一緒に年老いていく」ものとフレディは信じていた。過酷な運命が自分を待っているとは思いもせずに。

そして、永遠の別れ。
1987年、フレディがエイズに感染していることを最初に知らされたのは、メアリーだった。「胸が潰れるような思いでした」と、彼女は『デイリー・メイル』紙で回想している。

1990年、彼女は、塗装工のピアス・キャメロンと出会う。ふたりの間にはリチャードとジェイミーというふたりの子どもが誕生する。フレディは長男の名付け親となった。1年後の1991年11月24日、メアリーに見守られてフレディは息を引き取った。享年45歳。メアリーは当時、動揺した様子でこう発言していた。「私は自分の家族を失いました。だって、フレディが死んだのですから」

フレディの死後、彼女とクイーンとの関係は悪化する。バンドのメンバーがメアリーに対して反感を抱いたのは、フレディの遺産の半分が彼女の手に渡ったことと無関係ではないようだ。推定2000万ポンド(現在のレートで約28億5000万円)と言われる彼のロンドンの住居「ガーデン・ロッジ」も彼女が相続した。「フレディはこの家について、私が思っている以上に大変な問題になると言っていました」と、メアリーは2013年、『デイリー・メイル』紙に語っている。「クイーンの残されたメンバーがあの家を相続していたら、どう分割するかで揉めて仲違いしたに違いありません。私には理解できないことだけど。だって、ただのレンガとモルタルの塊に過ぎませんから」

フレディは火葬に付された。彼への最後の忠誠の証として、メアリーは秘密裏に遺灰を散灰している。場所は明かされておらず、フレディの両親さえどこなのか知らないという。「遺骨をまいた場所は決して誰にも言いません。それが彼の望みでしたから」とメアリーははっきりと断言している。

永遠の別れから7年後、彼女はニコラス・ハルフォードという名の男性と結婚し、2002年に離婚している。現在67歳。フレディから相続した屋敷で、好奇の目にさらされることもなく、平穏な生活を送っている。

texte:Chloe Friedmann (madame.lefigaro.fr)

2/2ページ

最終更新:2018/12/20(木) 16:41
フィガロジャポン

記事提供社からのご案内(外部サイト)

トレンドに流されず、自分らしいスタイルを
探したい女性たちへモード、カルチャー、
旅、インテリアなどの様々なジャンルの情報を
「ファッション」の視点で発信します。

あなたにおすすめの記事