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川崎市の印象を変えたフロンターレ。レッズを超える日はやってくるか。

2018/12/23(日) 9:01配信

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 やはりサックスブルーに染まった。MVPの家長を筆頭に、ベストイレブンに7人。川崎フロンターレがアウォーズも席巻したのだ。

 攻撃も守備も、個人も組織も、魅力的でたくましかった。「ベストゴール」に代表されるスペクタルなサッカーで楽しませてくれた。その上で最多得点と最少失点で2年連続優勝を達成した。納得の表彰だった。

 こうなると「3年分割で払われるDAZNマネーは1年目が10億で、2年目が4億で、3年目が1.5億。それが連覇だから……あ、優勝賞金の3億円も……」と未来のビッグクラブへの皮算用をしたくなるところだが、今回は踏み止まって足元を見つめたい。

低迷期と中村憲剛の発掘。

 実はまだタイトルをつかめなかった頃から「草創期の象徴が鹿島アントラーズだとすれば、21世紀に入ってもっとも成功したのはフロンターレ」と公言してきた。

 1999年、Jリーグが2部制を導入したのを機にJ2入り。その年優勝し、一気にJ1に到達した。

 しかし、翌2000年、初めてのJ1で最下位に沈み、降格。舞い戻ったJ2では1試合平均3784人の観客数にあえぎ、再昇格までに4シーズンを要した。

 だが、フロンターレの成功譚はこの時期に始まる。

 まずチームが変わった。例えばJ1初挑戦と2005年の再挑戦の違い。他クラブのレギュラークラスを大量補強し、監督も代えて臨んだ初昇格に対して、再昇格では前年J2を制したチームをほとんど変えずに挑んだ。

 この間にチーム強化の考え方が大きく変わったことは、2003年にテスト入団した中村憲剛と、高卒2年目ながら2005年のJ1で活躍した谷口博之の名前を挙げるのがわかりやすい。親会社からの支援で有力選手を獲得するチーム編成から、新人の発掘と育成への転換が図られたのである。

 それが継続的な躍進の源となったことは、その後のフロンターレが、優勝を飾ることこそできなかったが、常に上位を争う個性的なチームであり続けたことが証明している。

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最終更新:2018/12/23(日) 9:01
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