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東日本大震災 死者の霊と共にあろうとする切実で敬虔な思い

2018/12/26(水) 16:00配信

NEWS ポストセブン

 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、多くの日本人に今も深く癒えない傷を残している。忘れてはいけない「平成」の記憶として、評論家の川本三郎氏は、震災後に被災地で多く語られた幽霊談などをまとめた一冊を選んだ。

●『呼び覚まされる霊性の震災学 3.11生と死のはざまで』/東北学院大学 震災の記録プロジェクト 金菱清(ゼミナール)編/新曜社/2200円+税

 3.11のことはいまだに忘れられない。テレビで見る東北の凄まじい惨状に慄然とした。

 俳人の長谷川櫂さんは、その衝撃を俳句ではなく次々に歌にしていった。「短歌は人の心の動きを言葉にして表現することができる。ことに嘆きや怒りといった激しい情動を言葉で表わすのに向いている」から。

「津波とは波かとばかり思ひしがさにあらず横ざまにたけりくるふ瀑布」「かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを」「被災せし老婆の口をもれいづる『ご迷惑おかけして申しわけありません』」

 長谷川櫂『震災歌集 震災句集』(青磁社・二〇一七年)はいまもあの日の惨劇を思い出させる。

 3.11のあと宮城県の石巻と気仙沼でタクシーの運転手が幽霊を乗せたという事例があったという。

 その年の六月ごろ。ある運転手は三十代ぐらいの女性を乗せた。初夏だというのにコートを着ている。「暑くないですか」と聞くと「私は死んだのですか」と言う。驚いて振向くと誰もいなかった。

 震災後三年。別の運転手は深夜に女の子を乗せた。両親は? と聞くと「ひとりぽっちなの」と答える。目的地に着くと「おじちゃんありがとう」と言って消えた。

 社会学者、金菱清氏のゼミでは学生たちがこうした例を運転手に会って取材していった。無論、多くの幽霊談と同じようにこうした体験は生者の思い込みと否定することは容易だ。

 しかしあの惨劇のあと、生き残った者は死者の霊を信じ、いまも彼らと共にあろうとする。その思いは切実で敬虔なものだ。

 名取市の閖上地区では十四人の中学生が犠牲になった。翌年、遺族会が死んだ子供たちを「追憶」するために慰霊碑を建てた。三十個のチューリップの球根を植えた。翌年、亡くなった子供の数と同じ十四の花が咲いた。霊を信じたいと思う遺族の気持が痛いほど伝わってくる。

※週刊ポスト2019年1月1・4日号

最終更新:2018/12/26(水) 16:00
NEWS ポストセブン

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