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松永久秀、別所長治、荒木村重…信長を裏切った男たちの誤算―『信長の原理』で直木賞候補、垣根涼介氏インタビュー

2018/12/27(木) 12:14配信

PHP Online 衆知(歴史街道)

織田信長ほど、家臣に裏切られ続けた武将も珍しい。しかし明智光秀以外の裏切りは、いずれも失敗に終わっている。それは、なぜなのか──。信長を裏切り、籠城の末に敗れていった者たちの行動には、ある共通点があった。

《垣根涼介(作家)》
昭和41年(1966)、長崎県生まれ。平成12年(2000)に『午前三時のルースター』でデビュー。『ワイルド・ソウル』で大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞の三冠に輝き、『君たちに明日はない』で山本周五郎賞を受賞。著書に『光秀の定理』『室町無頼』などがある。最新刊の『信長の原理』が直木賞候補に。

松永久秀の悪人なりのプライド

「神はいない。もし、いたとしても人間だけを見ているほど暇ではない」

松永久秀はこんなことを言っていました。この点で、無神論者だった織田信長と響き合い、哲学的思考のベースとして共有するものが、二人にはあったように思います。

実際、久秀と信長は一時期、蜜月関係にありました。それは永禄11年(1568)に、信長が足利義昭を奉じて上洛したときから始まります。

13代将軍だった兄の足利義輝を久秀に殺された義昭は、仇である久秀を誅するよう、信長に求めました。ところが、信長は久秀の首をはねるどころか1万の兵を与え、「大和を平定せよ。そこはお前の領地として与える」と命じます。

2年後の元亀元年(1570)、越前の朝倉義景攻めに出兵した信長は、義弟の浅井長政の裏切りによって危機に陥りました。

このときの「金ヶ崎退き口」では、久秀が退却路にあたる地の領主・朽木元綱を説得することで、安全を確保し、信長の命を救っています。

信長が死ねば、京は永禄11年以前の混沌とした世界に戻り、久秀にとって都合が良いはずなのに、なぜ裏切らなかったのか。

久秀が「金ヶ崎退き口」で信長を裏切らなかった理由は、二つあると思います。

一つは、織田家の被官になって1年ぐらいしか経っていないので、三好長慶に仕えていたときのように、自分が信長の「懐刀」になれるとの自負があったことです。織田家をもっと膨張させて、その参謀格として家中に自分の力を浸透させていく。まさに、三好時代のやり方ができると考えていたのでしょう。

二つ目の理由は、信長が利害抜きに、久秀を気に入っていたことです。気に入ってくれる相手を裏切ろうという感情が、湧かなかったのではないかと思います。

さらにいえば、久秀は信長に恩義を感じていたはずです。

それまでに久秀は、三好家、細川家、足利将軍家を裏切ってきました。しかし一方で、彼らはさんざん久秀を便利使いしてきた。その意味では貸し借りなしだと、久秀がドライに考えていてもおかしくありません。

対して信長からは、1万の兵を貸し与えられ、大和の領主になれた。しかも、将軍の義昭が殺せといっているのに、信長は拒否した。これらには恩義を感じざるを得ないし、その恩義はまだチャラになってはいない。いくら“悪人”でも、それなりのプライドがあるものなのです。

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