「今年は2000本安打を達成することができました。しかも本拠地の千葉で多くのファンの方の前で達成できたので本当に嬉しかったです。でも一方で、チームは5位に終わってしまいましたからね。僕自身、もっとチームの勝敗に貢献できる働きができていればという悔しさが残るシーズンでもありましたね」
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シーズン終了後のZOZOマリンスタジアム。今年この場所で2000本安打を達成した福浦和也がしみじみと振り返った。
「一時は諦めていた2000本を打てたことも周りの人たちのおかげです。井口(資仁)監督、鳥越(裕介)ヘッドを含め、チームのみんながいつも声を掛けてくれたことも力になりました。打席に立つたびに記録が近づくたびにファンの人もたくさん見に来てくれましたし、あれだけの歓声を送ってくれた。最後は声援で打たせてもらったと言っていますけど、本当に最後は気力で打てたと思います」
愛されて四半世紀──今シーズン、幕張の町ではそんなコピーとともに刻まれた“福浦安打製造所”の作業着を着たマリーンズファンの姿をちょくちょく目にした。
千葉県習志野市出身。習志野高校から卒業する前年千葉に移転してきた千葉ロッテに入団した。生まれてこの方、千葉を出たのは3年間の浦和の寮生活だけ。マリーンズひと筋25年で、2000本安打を達成した福浦をファンは“俺たちの福浦”と謳(うた)う。マリーンズにとって特別な選手であるだけでなく、現代の野球界におけるフランチャイズプレーヤーとして、最たる存在であることがわかる。
「僕がここまでやれるなんて誰も思っていなかったでしょうね。当の本人ですら想像が及びませんでしたから(笑)。あの、背番号70のひょろひょろピッチャーがよくここまで続けてこられたと思います。たしか入団時の目標は『1日も早くマリンのマウンドに上がる』でしたからね。
僕、(習志野)高校時代に一度もマリンで投げたことがなかったので、なんとかピッチャーで頑張りたかったんですよ。半年ほどで、山本功児さんに『バッターになれ』と言われてしまいましたが、最初は転向が嫌で逃げ回っていましたからね。でも、その言葉がなかったら、今の僕はここにはいなかったわけですからね」
93年ドラフト7位──福浦のプロ野球におけるキャリアは、その年の最後に名前を呼ばれた“最下位指名選手”からはじまった。
世代の一番下から入団した福浦は、今シーズン中日の岩瀬仁紀、同じ昭和50年生まれの西武・松井稼頭央が引退したことで、来季からは巨人の上原浩治とともに球界最年長の冠をいただく。
それは同年代の野手では誰よりも長く現役を続けた選手の意味でもあるが、福浦は“球界最年長”という言葉には率直に「嫌ですね」とかぶりを振る。
最終更新:2018/12/28(金) 11:37
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