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ヤクザの子が背負う「資本の格差」という宿命

1/7(月) 6:10配信

JBpress

 前回、『彼らがヤクザになった理由――過酷な環境にいた少年たちを、社会は本気で救おうとしたのか』と題した記事を書いたところ、読者の方から、多くの示唆に富むご意見を頂いた。まさに賛否両論であったが、良くも悪くも、ヤクザの問題が「対岸の火事ではない」と感じて頂けたことは、筆者として嬉しい限りであった。そこで、紙幅の都合上書けなかった部分につき、今回、補足をしたいと思う。

【写真】福岡少年院

 ここ数年前から、「格差」というワードが頻出するようになった。一億総中流と言われた時代に生まれた筆者からすると、格差社会というものは社会の機能不全であり、何らかの処置を施す必要性を痛感する。そうしないと、様々な格差が、いわば肌の色のように世代から世代へと受け継がれる可能性が否めないからである。

 そう感じるのは、とりわけ筆者の職業から日々思い知らされるからである。筆者は、ノンフィクション作品や社会病理研究のため、大阪の西成のドヤ(簡易宿泊所)を拠点に取材をしている。さらに、地元の福岡県では、少年院在院者などに対して更生保護就労支援を行っている。関西では、元暴や姐さんと言われる方々のお宅にお邪魔し、福岡では非行少年の家族と接触している。実際、多くの家庭を見てきたわけであるが、残念ながら拙著『ヤクザになる理由』(新潮新書)で指摘した非行深化の要因が、肯定される結果となっている。

■ 格差のタマゴ

 子は親の背を見て育つという。カエルの子はカエル。これらは至言であると、この年になってつくづく実感するようになった。その理由につき、あれこれ考えた結果、筆者は「人生とは様々な要因が縒り合されたロープに例えられる」と主張してきた。そして、「その始点は家庭である」とも述べた。

 では、家庭のもつ何が、ロープの長さや太さを変えるのかというと、それは家庭の文化が内包する「資本」である。資本というと、金銭、財物的な発想をしがちであるが、本稿で述べたいのは、社会的資本(正しい役割を学ぶ人とつながる機会)と、文化的資本(感性を育てる学びの機会)についてである。どちらも目で見えるものではない。しかし、これらは、人の人生を大きく左右し、人生において様々な制約を生む、何なら「格差」のタマゴともいえる生来的な要因なのである。

■ お金に代えられない2つの資本

 非行少年やヤクザの家庭に生まれた人たちは、小さい頃から社会的資本や文化的資本が貧しい家庭で生育してきている。この社会的資本とは、親の人的なネットワークや信用であり、親自身はもとより、子どもの友人や付き合う人、所属するグループを方向付けることになる。カエルの子はカエルであり、付き合う友人もカエルになるということである。

 次に、文化的資本であるが、これは、社会的資本以上に大切であると考える。簡単にいうと、家庭に活字の本があるかどうか、クラッシック音楽などのCDがあるか、子どもの頃から博物館や美術館、音楽会に連れて行ってもらったかどうかである。このような資本は、目に見えないが、子どもの感性を刺激し、後年になって教養として表出する。したがって、文化的資本を利用、消費することは、高等教育や高い文化水準との係わりを容易にするといえる。

■ 夏目漱石や芥川龍之介という資本

 この文化的資本に関してもう少し触れたい。筆者の例で恐縮であるが、家庭はとても貧しかった。だからテレビというものがない。仕方ないので、幼稚園児の頃から夏目漱石の『坊ちゃん』を、小学校低学年では芥川龍之介の『羅生門』などを読んでいた。むろん、意味はよく分からない。読めない漢字は親にルビを振ってもらっていた。音楽は聴いていないので音感が無い。絵画などもサッパリ分からないから、東京でデザイナーとして働いている時は、恥ずかしい思いをした。ただ、そうはいっても、現在、本を書いたり、雑誌記事を書いたりと、文章で僅かばかりの小銭を稼げるのは、子どもの頃に読んだ、漱石や芥川龍之介のお陰であろう。

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最終更新:1/7(月) 14:10
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