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現代ではご法度!未成年との"火遊び"が許された江戸・吉原

1/11(金) 12:15配信

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江戸時代に遊郭が設置され繁栄した吉原。その舞台裏を覗きつつ、遊女の実像や当時の大衆文化に迫る連載。

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■18歳未満でもかまわない

 図1は、山本屋の花魁・勝山の道中を描いている。

 道中と言っても、いわゆる「花魁道中」ではない。客に呼ばれて、引手茶屋に向かうところである。

 花魁ともなると、多数の供を従えて道中する。

 先頭に禿がひとり、そして勝山、後ろに新造ふたりと禿ひとり、最後に遣手と若い者が従っている。

 勝山の道中の背景からも、吉原のにぎわいがわかろう。

 右端は、蕎麦屋の出前。芸者と、三味線を運ぶ若い者は、妓楼の宴席に向かうところだろうか。左端は笛を吹いている按摩で、杖を持っていることから盲目であろう。

  さて、図1の勝山は、作中では16、7歳という設定である。16、7歳で上級遊女の花魁とは、ちょっと信じがたい。

 あくまで戯作『犬著聞傾城亀鑑』の誇張なのだろうか。

 しかし、戯作はフィクションとはいえ、当時の作者はたいてい吉原で遊んだ経験があったし、読者も吉原のことはくわしかった。それなりに根拠のあることを書いていたはずである。

 ひるがえって現代、法律や条例で18歳未満の女性との性交渉は、たとえ相手の合意があったとしても、淫行として禁じられている。
 また、性風俗店でも、18歳未満の女性を雇用し、働かせるのは禁止されている。

 ところが、江戸時代にはセックスに関して、年齢による禁制は皆無だった。
 吉原の妓楼は、10歳前後で買い取った女の子を禿として教育したが、14、5歳で下級遊女である新造とした。そして、初潮があるや、すぐに客を取らせた。

 つまり14、5歳で新造として遊女デビューしたわけだが、人気があればすぐに花魁に出世した。

 新造と花魁では、その揚代は桁違いである。人気がある遊女は年齢にかかわらず花魁にしたほうが、妓楼はもうかったのである。

 その意味では、吉原の遊女は年功序列制とは無縁の、実力主義の競争社会だった。

 このことを考えても、図1の花魁・勝山が16、7歳というのはけっして不自然ではない。

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