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「加藤の乱」山拓が今だから明かせる「大将討ち死に」を止めた男

1/11(金) 5:56配信

デイリー新潮

「大将なんだから!」――。“討ち死に”覚悟で国会に突入せんとする自民党の加藤紘一氏を必死に止める谷垣禎一氏。2000年(平成12年)11月20日に起こった「加藤の乱」といえば、誰もがその場面を思い浮かべるはずだ。実はこのシーンが繰り広げられた後、体を張って加藤氏の国会突入を阻んだ人物がいた。

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「平成以降では、あれほどスリリングな政治ドラマはなかなかないんじゃないですか」

 と、山崎拓元自民党幹事長は語る。

 当時の総理は森喜朗氏である。衆院定数480のうち、与党は272。加藤派、山崎派の64人が賛成票を投じれば、内閣不信任案は可決する状況にあった。が、当時、自民党幹事長だった野中広務氏らの切り崩しに遭った加藤派は分裂。不信任案への投票を待たずしてクーデターの失敗が“確定”し、国民の多くはテレビ中継で冒頭の場面を目撃することになった。

 山崎氏が2016年に上梓した『YKK秘録』には、この場面の後、不信任案への賛成票を投じるべく、加藤、山崎両氏がハイヤーに乗って国会議事堂に向かうも引き返す、というエピソードが綴られている。引き返した理由は触れられていないが、山崎氏によると、

「本を出した時、まだ野中さんはご存命だったので書きませんでしたが、あの時引き返したのは、国会議事堂の入口に仁王立ちしていた野中さんに止められたからなのです」

“勘弁してくれ”

 山崎氏が続ける。

「野中さんは加藤さんが幹事長だった時に幹事長代理を務め、加藤さんを高く評価していた。その野中さんに“採決に出席したら自分が処分しなければならなくなる。それだけは勘弁してくれ。出ないでくれ”と説得され、やむなく加藤さんは引き返したのです。“拓さん一緒に帰ろう”と」

 しかしその後、再び2人はホテルから国会に向かったが、そこでも野中氏に行く手を遮られたという。

「加藤の乱が終わると、野中さんはパッと幹事長を辞めた。勝者なんだから責任を取る必要はなかったのですが、勝者になりたくなかったんですよ。それほど加藤さんに対する思い入れは深かったのです」(同)

 この件で失脚した加藤氏は、二度とメインストリームに戻れなかった。一方、これを踏み台にして宰相の座をつかみ取ったのが、小泉純一郎元総理である。

「加藤の乱の3週間後、毎年恒例の私の誕生日パーティーが行われたのですが、呼んでいなかったはずの小泉が姿を見せました。そこで“YKKは友情と打算の二重奏だ”と宣(のたま)ったわけですよ。そして“私は打算でここに来た”と。皆さん意味が分からず唖然としていましたが、僕にはすごくよく分かった」

 と、山崎氏。

「加藤の乱の当時、小泉は森派の会長として防戦に努め、僕を説得にかかった。その際、僕は“今回は加藤さんの味方をするけど、次は小泉さんの味方をする”と言った。パーティーに現れた小泉が言いたかったのは、今度は俺を応援しろ、約束したじゃないか、そういう意味です。それで小泉は実際に政権を取った」

 失敗したからこそ、「加藤の乱」は陰影に満ちたドラマになったのだ。

「週刊新潮」2019年1月3・10日号 掲載

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最終更新:1/11(金) 5:56
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