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釜石は「ラグビー人口100%」。W杯開催地とラガーマンたちの絆。

1/12(土) 11:01配信

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 「震災の時に日本、そして世界中の皆さんから支援、そして応援をいただきました。元気になった姿をお見せしたいと思います」

 こう話すのは、釜石市ラグビーワールドカップ2019推進本部事務局の長田剛だ。

 東日本大震災から約8年。被災した場所はきれいに整備され、人々には笑顔が戻ってきた。釜石市民の『心の復興』を担った一つがラグビー、そしてラグビーワールドカップ招致だった。

 開幕まで残り約8カ月。事務局、そして釜石市民は最後の準備にラストスパートをかけている。

3.11とシーウェイブスの力仕事。

 2011年3月11日。岩手県沿岸の釜石市は甚大な被害を受け、死者993人、行方不明者152人。多くの人が住居や学校、働く場所を失った。

 笑顔が消えた。

 目を背けたくなるような光景に長田の心もズタズタに引き裂かれた。だが、下を向いてはいられない。当時、釜石シーウェイブスの副キャプテンだった長田をはじめとした選手やスタッフはすぐに支援活動に取り掛かった。被災地での瓦礫の撤去などは諸事情で加われなかったが、避難場所での救援物資の搬入など力仕事を一手に引き受けた。

 「今まで応援してくれた市民のみなさんのために、僕たちができることをしたい」

 その一心だった。それはチームの外国人選手たちも同じだった。心配した各国の大使館の職員が釜石を訪れ、外国人選手たちに退去を命じても、彼らは頑なに固辞し続けた。

 「僕たちはここでやるべきことがある」

 「One for all, all for one(1人はみんなのために、みんなは1人のために)」のラグビー精神が彼らを奮い立たせせた。

 毎日、毎日、力仕事を行う日々。チームの今後の活動など不安を感じる選手も少なからずいた。

「早くラグビーをしてくれ」

 震災から1カ月ほどが経ったある日、長田やほかの選手たちはこんな言葉をかけられる。

 「もう支援活動はいいから、早くラグビーをしてくれ」

 「あなたたちがラグビーをしている姿をみたい」

 被災し、多くを失った人たちからの言葉に、メンバーは心が震えた。

 「ラグビーをしてもいいのかな、と思わせてくれたと同時に、釜石の人にとってラグビーがどれだけ大きな存在なのか再確認した瞬間でした」

 当時を振り返って話す長田の目は、心なしか潤んでいる。

 「この街にシーウェイブスがある意味を感じたし、この街はラグビーで復興するんだ。そう強く感じました」

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最終更新:1/12(土) 11:01
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