ここから本文です

豪代表DFデゲネクが語った中澤佑二の引退、古巣マリノス、CL、そして中東移籍の真相

1/16(水) 13:07配信

フットボールチャンネル

 オーストラリア代表は15日、アジアカップのグループリーグ最終戦でシリア代表と対戦した。その試合に3-2で勝利を収めた後、元横浜F・マリノスのDFミロシュ・デゲネクが取材に応じ、古巣のことから尊敬する大先輩、そして2度の移籍について語ってくれた。(取材・文:舩木渉【UAE】)

●尊敬する“ボンバー”の現役引退

 アジアカップやアジアの国の代表戦は、馴染みのある選手と再会できる場でもある。かつてJリーグでプレーしていたり、自分が取材したことのある選手と久々に会えば、そこには自然に笑顔も生まれる。

 オーストラリア代表のDFミロシュ・デゲネクとは、15日に行われたアジアカップのグループリーグ最終戦・シリア戦後の取材エリアで約8ヶ月ぶりに顔を合わせた。最後に話しを聞いたのはロシアワールドカップ出場のために代表チームへ合流する直前で、彼は大会後にそのままヨーロッパへ移籍してしまったため日本に帰ってくることはなかった。

「ニホンゴ、ウマイ!」

 取材エリアで顔を合わせて話し始める時、デゲネクの第一声は日本語だった。確かに「ウマイ」。先制しながら2度追いつかれ、後半アディショナルタイムにトム・ロジッチのゴールでなんとか勝ちきったオーストラリアはグループBの2位で決勝トーナメントに進出。出場停止と負傷によって欠場者を多く抱え、チーム全体のパフォーマンス自体も良くはなかったが、ひとまず最初のハードルを越えたことで表情も明るかった。デゲネクも苦戦を認める。

「見て分かる通りすごく難しい試合だった。多くの負傷者がいて、きつい試合になるのはわかっていた。でも次の試合が楽しみだ。もっと成長して、チームとしても向上して、次の試合に向かいたい」

 いつも通りの真面目な受け答えだったが、決勝トーナメント1回戦では日本代表と対戦する可能性もあることに触れると「旧知の友人たちにも会える。もちろん僕は日本や日本代表のことをすごくリスペクトしているから、(実現すれば)素晴らしい試合になるだろうね」と次のステップを楽しみにしているようだった。

 とにかく聞きたいことがたくさんある。1つは横浜F・マリノス時代に1年半にわたってコンビを組んだ中澤佑二の現役引退について。その話題を振ると、デゲネクは「オ~!」と天を仰いだ。Jリーグでプレーしていた頃から日常的に中澤を「日本でもアジアでも最高のDF」と称え、その隣で戦えることを意気に感じていた24歳は、やはり“ボンバー”への尊敬の念を隠さない。

「(引退を知って)本当にびっくりした。僕はボンバーのことが大好き。ボンバーのことをリスペクトしている。彼は最高の選手。(移籍してしまって)日本に行ってボンバーに会えなかったことがすごく残念だ」

 さらにデゲネクは「いつかまた日本に帰るつもりだから、そこでボンバーに会って、いろいろなことを話したい。僕の愛する街、横浜にまた帰りたい。日本は世界で最高の国の1つだと思っているから、いつの日か必ずね」と続ける。

●”It's the best”

 たった1年半ではあったが、デゲネクは日本で成長してヨーロッパへ移籍するチャンスを掴んだ。マリノス時代、彼は練習を終えるとすぐに着替えて車に乗って帰宅するのが定番だった。チームメイトたちと仲が悪いわけではなく、ただフットボールに対してストイックだったのだ。

 自宅には様々な器具を揃え、チーム練習後には必要に応じて自主トレを欠かさず、体のケアも怠らなかった。その背景には、中澤から学んだプロサッカー選手としてのあるべき姿があったのかもしれない。

「ボンバーからの最も重要な学びは、『プロフェッショナルである』ということだね。フットボールを愛し、プロフェッショナルであり続け、体をケアし、常にスマートで、アクティブで、競技に集中するということ。ボンバーと共にプレーできたというのは僕の人生において最高のことなんだ」

 そして、24歳のオーストラリア代表DFは尊敬する大先輩に、遠くUAEからメッセージを残してくれた。

「ボンバーへ。僕はあなたの健康や幸せを願っています。今はフットボールのことは何も考えず、とにかくゆっくり休んで、人生を楽しんでください」

 ここでもう1つ、聞かなければいけないことがあった。「日本に行ってボンバーに会えなかった」理由、夏の移籍についてである。クロアチア生まれのセルビア人でもあるデゲネクにとって、移籍先となったレッドスター・ベオグラードは少年時代から愛していたクラブ。そこへの加入は夢の実現でもあった。

 ロシアでの戦いを終えてすぐに新天地へと赴くことになってしまい、日本に戻ってマリノスに直接別れを伝えることができなかった。彼はそのことを今でも悔やんでいる。

「横浜が恋しい。ワールドカップの後にレッドスターへ移籍することになって、すぐにチャンピオンズリーグ(CL)予選が始まることもあって日本に戻る時間がなかった。でも、オフの時間を得ることができたら、また日本に帰りたいし、マリノスに関わる皆さんの新シーズンが上手くいくことを心から願っているよ」

 だが、レッドスターではCLという世界最高峰の舞台に立つことができた。その経験について問うと、デゲネクはしみじみと”It's the best”を3度繰り返す。そして「チャンピオンズリーグは最高。世界でも最高の大会だ。そこでリバプールやパリ・サンジェルマン、ナポリとも戦うこともできた。そして僕たちはリバプールを破り、ナポリとは引き分けることができた。本当に素晴らしい経験だった」と半年間の挑戦を振り返った。

●衝撃のサウジ移籍。その真相は…

 1990/91シーズンに欧州の頂点に立ったこともあるレッドスターだが、CLの本戦出場は大会が現方式になってからは初めて、ヨーロピアンカップ時代も含めると1991/92シーズン以来26年ぶりのことだった。

 そんな大舞台で、強豪揃いのグループに組み込まれながらも初戦でナポリと0-0のドローを演じ、ホームでリバプールに2-0という歴史的な勝利も収めた。デゲネクは英『BBC』に対し「セルビアのサッカーがまだ死んでいないことを世界に示した。レッドスターはまだ生きて、戦える」と語り、CLでの「夢」の実現を誇っていた。

 だが、そんな理想の環境での挑戦もわずか半年で終わりを迎えることになってしまった。つい先日、デゲネクはサウジアラビアの強豪アル・ヒラルへ移籍することが発表された。一部報道によれば、この移籍のためアル・ヒラルはデゲネクとレッドスターとの間の契約に定められていた違約金満額にあたる300万ユーロ(約4億円)を支払ったとも言われている。つまりクラブ間交渉の余地はなく、最後は選手本人の決断に委ねられる。

 とはいえ誰もが驚いた中東への移籍劇は、デゲネク自身にとって必ずしも望んだものではなかったという。彼は決して高額な給与を求めていたわけではない。それはもはや苦渋の決断と言っても差し支えないだろう。自ら勝ち取った挑戦の場を去らねばならない無念さと、愛するクラブを資金面で助けることができるという両面の狭間で葛藤したに違いない。彼は事の真相と偽りなき本音を明かしてくれた。

「実はレッドスターから僕の移籍に対して大きなプレッシャーがあった。クラブはお金を必要としていて、移籍に向けてかなりのプレッシャーをかけてきた。僕の移籍で相当な額のお金が手に入るからね。アル・ヒラルが僕を欲してくれた唯一のクラブで、中国へ移籍する別の選択肢もあったけれど、中国には行きたくなかったので断った。そうしてアル・ヒラルへの移籍を望んだんだ。これからどうなるかは見てみないとね」

 新天地に赴くのはアジアカップが終わった後。まずはUAEで2連覇を達成し、アジア王者の座を守ることに集中する。もし決勝トーナメントで日本代表と対戦することになれば、JリーグやCLで鍛えられたオーストラリアの背番号2は高い壁となってゴールの前に立ちはだかるだろう。デゲネクも「もうすぐ対戦することになるだろうね」と言いつつ、ニヤリと笑った。

 そして最後に、古巣であるマリノスへメッセージを託してくれた。デゲネクのマリノスへの愛情は、今も変わることなく彼の胸の内に刻まれている。

「マリノスに関わる皆さんへ。これから始まる新たなシーズンが最高のものになることを願って。アンジェ・ポステコグルー監督、コーチたち、共に戦った選手たち、新たに加入する選手たち、ファンの皆さんがJリーグで優勝できることを祈っているよ」

(取材・文:舩木渉【UAE】)

フットボールチャンネル

最終更新:1/16(水) 17:52
フットボールチャンネル

記事提供社からのご案内(外部サイト)

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事