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大野豊【前編】江夏豊からの指導で急成長し後継者に/プロ野球1980年代の名選手

1/18(金) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

どん底からのスタート

 1980年に2年連続で日本一に輝いた広島だったが、オフに絶対的クローザーの江夏豊が日本ハムへ。翌81年、その後継者となったのが、同じ左腕の大野豊。22年もの長きにわたって投げ続けた鉄腕だ。83年までクローザーをメーンに投げまくるが、

「この3年間が一番キツかったし、つらかったですね。江夏さんがいた3年間は、後ろに絶対的な存在がいるので、とにかくそこにつなぐまで頑張ればいい、という思いしかなかった。でも、今度は自分が後ろを任されて。その期待に応えられるだけの内容、成績を残せればよかったんですが……。やっぱり江夏さんと比較される苦しさがありました。当然、格が違うんですけど、周りは、そうは思ってくれない。コールされてマウンドに行くまでに『江夏だったら抑えられる、お前だったら打たれる』といったヤジを、いつも聞いていた。もう二度と抑えはやりたくないと思いましたね。そういう立場に置かれた自分の弱さも感じました。そういうことにも強くなっていかなきゃいけない、と。それからは『今に見ていろ』と思うようになった。そんなヤジを言われない投手になってやる、ってね」

 この経験は先発へ転向した84年になって、生きてくることになる。

「いきなり9連勝ですよ(笑)。先発って、こんな簡単で楽に勝てるのか、と思いました」

 もともと、どん底からのスタートだった。ドラフト外で77年に広島へ。だが、1年目のデビュー登板で炎上して、防御率135.00という驚異的な数字を残してしまう。

「まあ、これで自分は終わったと(笑)。周りも、そう思ったでしょう。ただ、母親に電話したときに『1回の失敗であきらめるな。もう一度、頑張りなさい』と言われたんです」

 するとオフ、江夏が南海から移籍してくる。運命的な出会いだった。

「社会人時代、僕は(江夏の阪神時代と同じ)背番号28を着けていたくらい、江夏さんのファンだったんです。その江夏さんが広島へ移籍されてきて、古葉(古葉竹識)監督が江夏さんに、僕のことを見てくれと言ってくださったらしいんですよ。それでキャンプから付きっきりで、いろいろ指導していただきました」

 江夏の指導は基本的なところから始まった。

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