ここから本文です

大野豊【前編】江夏豊からの指導で急成長し後継者に/プロ野球1980年代の名選手

1/18(金) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

勝ち星よりも防御率

「とにかく基本を大事に、キャッチボールをおろそかにしちゃダメ、というところから。(左腕の投球フォームは)基本的に重心が下がって左肩も下がり、右肩が上がるんですが、僕も独特なフォームで、それが極端で壁が作れていなかったんです。だから、まず右手の高い部分を下げて、肩の上から壁を作って、目標に対して投げていこう、と。フォームを変えることになったんです」

 翌78年から、その江夏へとつなぐセットアッパーとして実績を積んでいった。81年からは江夏の後釜としてクローザーを担うも、広島は優勝から遠ざかっていく。迎えた84年は先発に回って優勝、日本一に貢献したが、開幕9連勝の後は急失速した。

「落とし穴じゃないけど、そこ(9連勝)から、まったく勝てなくなった。先発に変わって、それまで自分の中でモヤモヤしていたものが抜けて、結果も出た。15勝は固いな、という思いでいたんですけど、結局10勝。自分の甘さを感じさせられた年でした」

 ただ、防御率2.94はリーグ2位。

「自分の場合、スタートが135点という、とんでもないものでしたから、防御率には引退まで、こだわりがありました。とにかく勝ち星よりも防御率。だから、とんでもなく多い勝ち星を挙げたことなんてないんです」

 2年連続10勝の翌85年こそ防御率は悪化したが、86年からは安定感を維持していく。その86年は規定投球回未満ながら防御率2.74。翌87年にはリーグ5位の防御率2.93に加え、自己最多の13勝も挙げた。迎えた88年は、プロ12年目、33歳を迎えるシーズン。ベテランの域へと入りつつあったが、さらなる飛躍を遂げていく。

写真=BBM

週刊ベースボール

2/2ページ

最終更新:1/18(金) 12:48
週刊ベースボールONLINE

記事提供社からのご案内(外部サイト)

週刊ベースボールONLINE

株式会社ベースボール・マガジン社

野球専門誌『週刊ベースボール』でしか読めない人気連載をはじめ、プロ野球ファン必見のコンテンツをご覧いただけます。

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事